子どもを愛せない母親

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

子どもを愛せない母親 ・幼児教育悩み相談Q&A

はやし浩司先生●子どもを愛する



はやし先生、先日でB町(愛知県)で、先生の講演を拝聴し、癒された気分になりました。自分
の子どもを愛せない……そんなことで、悩んでいた矢先だったので。

 私は結婚6年目、4才と1才の娘がいます。その長女との関係が自分の中でうまく処理できま
せん。次女はほおずりしてもしたりないくらい可愛いのですが、長女が後ろから抱きついてきた
ときには、寒気がしたり思わず身をかわしたりしてしまうことがあります。

長女が、次女にちょっかいを出して転ばせたりしたときは口汚くののしってしまいます。(うちの
子に何するのよ)と思っている自分にびっくり。次女にやったのと同じことを長女に仕返しするこ
ともあります。

 私は仕事をもっており、長女は満1才の時から2才6ヶ月までの間、車で15分離れた義母に
日中預けていました。(朝食から夕食までいたこともあります。私も主人も教職で、仕事に日々
追われていました。長女をかまってやることができず、いっしょにいるのは夕食とお風呂と寝る
ときだけ。朝は娘の目が覚めない内に主人が車で連れて行きました)

次女出産のために、産休に入ったのですが、同居、別居問題でこじれ、私と義母が全く会わず
口も聞かない状態が2ヶ月続きました。水入らずで、娘と一緒に過ごしたのですが、どんな要求
も満たしてくれる祖母に比べ(物質的に、精神的に)、権力主義的な接し方しかできない私と
は、しっくりいかず、お互い嫌な雰囲気になることすらありました。

次女が生まれてしまうと、義母のところへ遊びに行っては、帰ってこない日が続きました。育児
について、いろいろ衝突があったために、別居を強く希望していた私にとって、娘が帰ってこな
いことはたいへん都合も悪く、「アパートがあんたの家だよ」と連れ帰ろうとしたのですが、娘は
泣き叫んで抵抗し、義母や義父は、私をひどい母親呼ばわり。

「アパートへ帰るとへんな子になる。ずーっとここにいていいよ。」と長女を帰してくれる様子は
ありませんでした。小さいときから「帰ってこない子はうちの子じゃない」と言い聞かされて育っ
た私にとっては、もう長女は自分の子でなくなった以外の何ものでもなく、義父と義母に対する
恨みの念はふくらむ一方。長女と縁を切りたい気持ちで、いよいよ、離婚かというときになり、
主人が仕事を調節し、家族の時間をとるようになり、何とかアパートの生活に4人落ち着いた
のは、9月のはじめでした。

 今でも、私の仕事復帰に備え、義母が敷地内同居を強く迫ってきますが、私は全く自信があ
りません。子どもを再び義母に預ける都合上(義母に預けたくないのですが、保育園はかわいそ
うだといって、大げんかになります。私も教職なので、時間通りにかえってこられないため、実
際保育園に入れてみてうまくいくのかはわかりません。今は暮らしにゆとりがあるので、幼稚園
にいれています。)

今年度中には義母と同じ町内のアパートに転居予定です。幼稚園に通うため義母の家を経由
して幼稚園にいく毎日ですが、長女は私と義母が二人いるときは金切り声を出したり、食事中
テーブルの上に立ち上がったり、豆腐を手で握りつぶしたりして、不安定です。私対長女、義
母対長女の時はそれなりに落ち着いているようで、長女がおかしな態度になるのはお互いの
せいだと心のなかで、責め合っている間柄です。

こんな状態で、義母の前でずうずうしくなる娘にどんどん嫌悪感がつのり、自ら作ってしまった
娘との距離を埋めることができないでいます。義母の前で娘をしかろうものなら、その場で(娘
の前で)ぐちぐちと言われることでストレスはたまる一方、アパートへかえると、自然に長女への
あたりはきつくなってしまいます。

小さな頃、「おなかいっぱい。これは食べられない。」もいえずに無理に食べさせられて食べ物
を吐いていた私。自分の受けた躾?が極端だとわかっていても、義母の娘に対する接し方は
とても受け入れられず義母と私との溝もふかまるばかり。どうしたらいいんだろう……。義母に
はっきりと自分の意志を伝えられない私。そのとばっちりを受けている長女かな……義母に対
して腹の虫が治まらない私……。

とうとう眠れなくなってメールしました。長々と書きましたが、それ以外にも義母とのことはいろ
いろあり、書ききれません。主人にも、いろいろと相談をしてきましたが、(嫌いな子を差別して
るのといっしょだ。おまえは教員失格だ。)などといわれ、教員としての自信もなく、本当に自分
が現場に復帰できるのかも不安です。

子どもが生まれるまで、自分は子ども好きだと思っていたのに。義父や義母にも(教員として)の
部分にまで、口を出され、不覚にも義母の前で声を上げて大泣きしたこともあります。少ない情
報ですが、先生、もし何かアドバイスできることがありましたら、お願い致します。先生の手が
空いたときで結構ですので……(本当にみっともない質問ですみません。)
(愛知県B市、HSより)

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【HSさんへ、はやし浩司より】?

 以前、ある母親から、同じような相談を受けたとき、書いたのが、つぎの返事です。この相談
をしてくれた方は、子ども時代の不幸な家庭環境が、原因かと思われました。たいへん気負い
の強い方で、そのため、親子関係が、ギクシャクしてしまったようです。

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Q 自分の子どもですが、どうしても好きになれません。いい親を演ずるのも、疲れました。

A 不幸にして不幸な家庭に育った人ほど、「いい家庭をつくろう」「いい親でいよう」と、どうして
も気負いが強くなる。しかしこの気負いが強ければ強いほど、親も疲れるが、子どもも疲れる。
そしてその「疲れ」が、親子の間をギクシャクさせる。

 子どもが好きになれないなら、なれないでよい。無理をしてはいけない。大切なことは、自然
体で子どもと接すること。そして子どもを、「子ども」としてみるのではなく、「友」としてみる。「仲
間」でもよい。実際、親離れ、子離れしたあとの親子関係は、友人関係に近い関係になる。い
つまでもたがいに、ベタベタしているほうが、おかしい。

 ただ心配なのは、あなた自身に、何かわだかまりがあるとき。これをフロイト(オーストリアの
心理学者、一八五六〜一九三九)は、「偽の記憶(false memory)」といった。「ゆがめられた記
憶」と私は呼んでいるが、トラウマ(精神的外傷)といえるほど大きなキズではないが、しこりは
しこり。心のゆがみのようなもので、そのためどこかすなおになれないことをいう。そのゆがめ
られた記憶は、そのつど、あなたの心の中で「再生(recover)」され、あなたの子育てを、裏か
らあやつる。もしあなたが子育てをしていて、いつも同じ失敗を繰りかえすというのであれば、こ
のわだかまりをさぐってみたらよい。

 望まない結婚であったとか、予定していなかった出産であったとか。仕事や生活に大きな不
安があったときも、そうだ。あるいはあなた自身の問題として、親の愛に恵まれなかったとか、
家庭が不安定であったとかいうこともある。この問題は、そういうわだかまりがあったということ
に気づくだけでも、そのあと多少時間はかかるが、解決する。まずいのは、そのわだかまりに
気がつかないまま、そのわだかまりに振りまわされること。そのわだかまりが、虐待の原因とな
ることもある。

 今、「自分の子どもとは気があわない」と、人知れず悩んでいる親は多い。東京都精神医学
総合研究所の調査によっても、そういう母親が、七%はいるという。しかもその大半が、子ども
を虐待しているという(同調査)。

 あるいは兄弟でも、「上の子は好きだが、下の子はどうしても好きになれない」というケースも
ある。ある母親はこう言った。「下の子は、しぐさから、目つきまで、嫌いな義父そっくり。どうし
ても好きになれません」と。

 親には三つの役目がある。ガイドとして、子どもの前を歩く。保護者として、子どものうしろを
歩く。そして友として、子どもの横を歩く。このタイプの親は、友として子どもの横を歩くことだけ
を考えて、あとはなりゆきに任せればよい。一〇年後、二〇年後には、あなたは必ず、すばら
しい親になっている。

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【HSさんへ、はやし浩司より】? 

 少し回りくどい言い方になると思いますが、同じようなテーマで書いたのが、つぎの原稿です。
親子のあり方を考えるのに、一つの参考になると思いますので、どうか目を通していただけま
せんか。

 大切なのは、「気負い」を捨てることです。「親だから……」「母親だから……」「教師だから…
…」という、気負いです。この気負いが強ければ強いほど、あなたも疲れますが、子どもや、ま
わりの人たちも疲れます。それについて書いた原稿です。

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オナラ論

●夫婦のオナラ
 何かの文士たちが集まる席で、一人の男が、いきなり、私にこう聞いた。「林君、君の奥さん
は、君の前でオナラをするかね?」と。

 私が「ハアー?」ととまどっていると、さらにまた、「するかね?」と。そこで私が、「……ええ、う
ちのワイフは、そういうことはしないです……」と答えると、まわりにいた男たちまでが、一斉
に、「そりゃあ、かわいそうだ、かわいそうだ。あんたの奥さんは、かわいそうだ。オナラをしな
いのかねエ?」と。つまり夫の前で、オナラをすることができない妻というのは、かわいそうだと
いうのだ。ナルホド!

 「オナラ」には、別の意味がある。つまりオナラは、いやなもの。とくに他人のオナラほど、い
やなものはない。そのいやなものを、受け入れることができるかどうかで、たがいの人間関係
を評価できる? そこでテスト。

あなたは、あなたの妻や夫のオナラを、受け入れることができるか。たとえば居間でいっしょに
テレビを見ていたとする。そのとき、あなたの夫か妻が、豪快に、プリプリと出したとする。結
構、臭いもキツイ。そういうときあなたは、それに対して、どのような反応を示すだろうか。ある
いは反対に、あなた自身は、妻や夫の前で、豪快に、プリプリと出すことができるだろうか。

 ……と、書いて、実は、オナラは、ひとつの象徴にすぎない。オナラの問題をつきつめていく
と、ここにも書いたように、そこに夫婦の人間関係が浮かびあがってくる。夫や妻のオナラと同
じように、あなたは夫や妻の、(いやな面)を、受け入れることができるかということ。夫婦といっ
ても、もともとは他人。恋愛時代はともかくも、それをすぎると、一対一の人間関係が基本にな
る。そのとき相手の(いやな面)を、どこまで受け入れることができるか。それで、夫なり、妻の
愛情の深さが決まる。

 ある夫は、妻との口論が絶えなかった。原因は、いつもささいなことだった。夫が何かを言う
と、即座に妻が、あれこれ言いわけをした。それが夫にはがまんできなかった。

夫「手紙を出しておいてくれたか?」
妻「雨が降ったから……」
夫「だから、出してくれたのか?」
妻「雨が降ったからと言ったでしょ」
夫「出してないのか?」
妻「行こうと思ったけど、行けなかった。しかたないでしょ!」と。

 一言、「ごめんなさい」と言えばそれですむのだが、その妻は、どこか根性がひねくれていた。
生い立ちが貧しかったこともある。

 こういうケースでも、夫が妻をどこまで受け入れるかで、その愛情の深さが決まる。「そういう
女だ」と思うことで、納得し、あきらめるか、それとも、「何だ! その言い方は!」ということで、
けんかになるか。その違いはどこにあるかと言えば、結局は、オナラの問題ということになる。
この夫婦のばあいは、夫は、妻のオナラを受け入れていなかった。夫はこう言った。「女房は、
何かにつけてすぐ私に反抗する。心の奥底では、私を憎んでいるせいかもしれない。どちらか
とういうと、女房にとっては、不本意な結婚だったから」と。

●親子のオナラ
 親子のオナラ論を話す前に、前に書いた原稿を転載する。

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 親だから……というふうに、ものごとは決めてかかってはいけない。「親だから子どもを愛す
る心があるはず」とか。先日も朝のワイドショーを見ていたら、キャスターの一人がそう言ってい
た。

しかし実際には、人知れず子どもを愛することができないと悩んでいる母親は多い。「弟は愛
することができるが、兄はどうしてもできない」とか、あるいは「子どもがそばにいるだけで、わ
ずらわしくてしかたない」とかなど。私の調査でも子どもを愛することができないと悩んでいる母
親は、約一〇%(私の母親教室で約二〇〇人で調査)。東京都精神医学総合研究所の調査で
も、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、七%もいることがわかっている。そして
「その大半が、子どもを虐待していることがわかった」(同、総合研究所調査・有効回答五〇〇
人・二〇〇〇年)そうだ。

妹尾栄一氏らの調査によると、約四〇%弱の母親が、虐待もしくは虐待に近い行為をしている
という。(妹尾氏らは虐待の診断基準を作成し、虐待の度合を数字で示している。妹尾氏は、
「食事を与えない」「ふろに入れたり、下着をかえたりしない」などの一七項目を作成し、それぞ
れについて、「まったくない……〇点」「ときどきある……一点」「しばしばある……二点」の三段
階で親の回答を求め、虐待度を調べた。その結果、「虐待あり」が、有効回答(四九四人)のう
ちの九%、「虐待傾向」が、三〇%、「虐待なし」が、六一%であったという。)

 だからといって、子どもの虐待が肯定されるわけではない。しかしこの虐待の問題は、もう少
し根が深いのではないか。その一つのヒントとして、今の母親たちの世代というのは、日本が
高度成長をやり遂げた時期に乳幼児期を過ごしている。そしてそのうちの大半が、かなり早い
時期から親の手を離れ、保育園や保育所へ預けられた経験をもっている。つまり生まれなが
らにして、本来あるべき親の愛情が希薄な状態で育てられている。もちろんそれだけが理由と
は言えないが、子育てというのは本能でできるようになるわけではない。親の温かい愛情に包
まれて育ってはじめて、親になったとき、自分も子どもを温かい愛情で包むことができる。

このことを考え合わせると、子どもを虐待する親というのは、そもそもそういう温かい愛情を知
らない親と考えてよい。そしてその理由として、日本が戦後経験した、いびつな社会構造にある
のではないかと考えられる。私たち日本人は、仕事第一主義のもと、「家庭」や「家族」をあまり
にもないがしろにし過ぎた。つまり今にみる子どもへの虐待は、あくまでもその結果でしかない
ということになる。

 子どもを虐待する親もまた、自分ではどうしてよいかわからず苦しんでいる。世間一般は、子
どもを虐待する親を、ただ一方的に責める傾向があるが、その親たちもまた現在の社会が生
み出した犠牲者と考えてよい。虐待に対する一つの見方としてこの原稿をとらえてほしい。

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 この原稿をここに掲載した意図は、もうおわかりかと思う。「親子だから……」という理由だけ
で、人間関係を決めてかかってはいけない。ほとんどの親は、自分の子どものウンチやオシッ
コを汚いとは思わない。ある父親は、子どもがウンチをしたとき、それを思わず、手で受け止め
たという。また別の父親は、体中、子どものウンチにまみれてしまったという。いっしょに子ども
と、風呂へ入れているときのことだった。しかし、中には、子どものウンチやオシッコを、汚いと
思っている親もいるということ。

●そこであなたのこと
 そこであなたのこと。夫婦であるにせよ、親子であるにせよ、あなたはあなた。全幅の愛情が
あれば、それに越したことはないが、しかし、それがないからといって、無理をしてはいけない。
「臭かったら臭い」と言えばよい。「いやだったら、いやだ」と言えばよい。万事、自然体でいけ
ばよい。

 問題は、そういうあなたにあるのではなく、そういうあなたに気づかないまま、それに振りまわ
されること。そしていつも、同じ、失敗を繰りかえすこと。何かの「わだかまり」や、「こだわり」が
あれば、なおさらで、こうしたわだかまりや、こだわりは、あなたの心を裏からあやつる。これ
が、こわい。

たとえば「夫のオナラは、どうしてもいやだ」「夫が鼻クソをほじっているのを見ると、ぞっとす
る」「夫が使ったタオルは、どうしても使えない」「夫の下着と自分の下着を、いっしょに洗濯をす
ることができない」「夫の寝息が、うるさくて眠られない」というのであれば、何か、大きなわだか
まりや、こだわりが、あなたの中にないかをさぐってみる。そういうわだかまりや、こだわりが、
あなたの夫婦関係を、ギクシャクしたものに、しているはずである。

 親子の同じ。「親だから子どもを愛しなければならない」と、気負うことはない。もちろん全幅
に愛していれば、それに越したことはない。しかしこれも、無理をしてはいけない。無理をする
必要も、ない。万事、自然体でいけばよい。

 ……と書くと、絶望的に感ずる人もいるかもしれない。「自然体で考えたら、離婚になってしま
う」とか、「親子がバラバラになってしまう」と。しかしそうではない。もうひとつ、大きな「救い」が
ある。それは、「人間関係」という救いである。一対一の人間関係という救いである。今、あなた
がどういう状態であるにせよ、その状態から、今度は、一対一の人間関係を発展させることが
できる。「夫婦」とか、「親子」とかいうワクで考えるのではなく、「対等の人間」として考える。わ
かりやすくいえば、近くにいて、親しい「友」と考えることができる。

 そういうふうに考えて成功している夫婦や親子は、いくらでもいる。別々の場所に住んでい
て、別々の仕事をしながら、仲のよい夫婦は、多い。若いのに、ほとんどセックスをしなくても、
仲のよい夫婦は、これまた多い。生活時間が違い、寝室も別々という夫婦となると、さらに多
い。夫婦に形はない。どんな形であれ、たがいにそれに納得し、たがいがそれでハッピーなら、
それでよい。

 親子も、また同じ。子どもをこの世に引き出した以上、それなりの責任はとらねばならない。
それは親として、当然のこと。しかしそこから先には、「形」はない。もともと日本人は、形が好
きな民族だから、何かにつけて、形の中でものを考えようとする。しかし形に押しこめようとす
ればするほど、あなたも苦しむが、子どもも苦しむ。が、この時点で、子どもを「友」として、受け
入れてしまえば、ものの考え方が逆転する。いや、逆転しないまでも、あなたの気分は、はるか
に楽になるはず。

●ワイフのこと
 家に帰ってから、しばらくしたある日のこと。私は、おそるおそる、ワイフにこう言った。「あの
な、おまえは、あまりぼくの前でオナラをしないけど、したかったら、すればいいよ」と。

 私のワイフは、そういう点では、あまり融通のきかない女性。まじめというより、カタブツ人間。
私がそう言うと、「何を言いだすの!」というような顔をして、驚いた。で、私は、先の文士たち
の集まる会での話をした。「みんなが、お前のことを、かわいそうだと言ったからね」と。

 かく言う、私は、ワイフの前でも、平気でオナラを出す。鼻クソだってほじるし、言いたいことも
平気で言う。遠慮したり、隠したりすることは、ほとんど、ない。しかしワイフは、どこか私の前で
は、いつも遠慮している? そういう意味では、心を隠している? ひょっとしたら、別に愛人が
いて……? (多分、それはないと思うが……。しかし昔からこう言う。『知らぬは亭主ばかりな
い』(江戸川柳)と。)

 で、この会話はこれで終わったが、それから数日後のこと。私の言ったことが、やはりワイフ
も気になっていたらしい。何かのついでに、ワイフが、ふとこうもらした。

 「私ね、あのあと、いろいろ考えてみたけど、やっぱり、私は、あなたの前ではオナラはできな
いわ。それはあなたとの関係がどうのこうのとか、夫婦だからどうのこうのということではなく、
女のたしなみのようなものではないかと思うの……」と。どこか説得力があるようで、ないような
弁解だったが、私はあまり深く考えず、「そういう考え方もあるのかなあ」と、そのときはそれで
終わってしまった。

 ワイフがそう考えるなら、それはそれでよいのではないか。ついでだが、そのあと、私の教室
の生徒たちに、こう聞いてみた。「みんなのお母さんは、君たちの前で、オナラをするか?」と。
すると、全員、「するする、臭い、臭い」と答えた。幼児クラスの生徒も、小学生クラスの生徒
も、全員、そう答えた。答えたので、私も自信をもって、こう言った。「君たちのお母さんは、いい
お母さんだなあ」と。しかしこれは余談。
(02−12−19)

●「羞恥心は塩のやうなものである。それは微妙な問題に味をつけ、情趣をひとしほに深くす
る」(萩原朔太郎「虚妄の正義」)

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【HSさんへ、はやし浩司より】? 

 HSさんのケースでは、こうした「親意識」の問題に加えて、「嫁、姑」の問題が、からんでいま
す。メールを読んで、一番ドキッとした部分は、つぎのところです。

「義父と義母に対する恨みの念はふくらむ一方。長女と縁を切りたい気持ちで、いよいよ、離
婚かというときになり……」と。

 で、その原因は、どこにあるかということですが、私は、あなたの「嫁、姑」問題は、ただの転
移ではないかと思います。もうご存知かと思いますが、「転移」というのは、だれかに何かの感
情をもっている人が、同じような状況下で、同じような状況の人に対して、同じような感情をもつ
ことを言います。よく『坊主、憎ければ、袈裟(けさ)まで憎い』と言いますね。あれです。

 つまりあなたは、「舅(しゅうと)、姑」を嫌っているのではなく、あなた自身の両親への憎悪
を、「舅、姑」に転移しているのではないかということです。そのヒントとなった言葉が、つぎの言
葉です。

 「小さな頃、『おなかいっぱい。これは食べられない。』もいえずに、無理に食べさせられて、
食べ物を吐いていた私。自分の受けた躾?が極端だとわかっていても、義母の娘に対する接
し方はとても受け入れられず義母と私との溝もふかまるばかり」と。

 わかりやすく言うと、あなた自身の親に対する憎悪というか、嫌悪というか、はたまた反発心
というか、そういうものが、今の義理の両親に対する、憎悪の原点になっているのではないかと
いうことです。

 (子ども時代の、きびしい、しつけ)→(両親への反発)→(子育てに干渉してくる義理の両親)
→(無意識下における反発)→(義理の両親への憎悪)と。

 そしてそれが、さらに、つぎのような心理状態となって、あなたの親子関係をゆがめている。
ここで働くのが、「投影」という心理状態です。

 あなたは両親のきびしいしつけを、受けた。「無理に食べさせられ、それを吐いた」というの
は、恐らく象徴的なできごとだったのだろうと思います。つまりあなたは、(あなた自身)と、(両
親の前では、いい子でいよう)という、二人の自分をもつようになったのです。いわゆる仮面、も
しくは、(人格の)遊離という現象です。

 つまりあなたの中には、(あなた自身)である部分と、(両親の目を通して見た、いやな自分)
という二つの部分が、あるように思います。これは無意識下の心理状態なので、多分、あなた
にはその自覚はないと思います。しかしここに書いたことをヒントに、あなたの心をほんの少し
だけ冷静に見てくだされば、すぐわかるはずです。

 簡単に言えば、あなたは、あなたの長女の中に、あなたが子ども時代の、(両親の目を通し
て見た、いやな自分)を、投影させているということです。もっと簡単に言えば、あなたが長女を
好きになれないのは、あなた自身のいやな部分を、長女の中に再現しているからです。

 ……こう決めてかかるのは、危険なことですが、こうしたケースは、類型化できるほど、たい
へん多く、また珍しくないからです。

 話を先に進める前に、転移について書いた原稿を、添付しておきます。

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転移

 以前、こんなことがあった。

 そのとき私は、ある男と、かなりはげしく対立していた。ワイフも巻き込んだ、大騒動になって
いた。そのときのこと。その男はブルーの大型車に乗っていたのだが、街を歩いていて、ブル
ーの大型車を見かけるたびに、ぞっとしたのを覚えている。もちろんブルーの大型車など、いく
らでも走っている。その男の車ではないとわかっていても、どういうわけか、ぞっとした。

 こういうのを心理学では、「転移」と呼ぶ。一つの感情が、まったく別のときと場所で、本人の
意思とは関係なく、同じような条件が重なったとき、再現されることをいう。ただし再現といって
も、本人には、その意識は、ほとんどない。もう少し深刻な問題では、こんなことがある。

 ある男性(四五歳)は、どういうわけだか、結婚できなかった。まわりの人がいくらすすめて
も、結婚できなかった。縁談の話まではいくつかあったが、いつもその直前で、破談になってし
まった。同性愛者ではなかったが、しかし女性に対して、原罪的な恐怖感をもっていた。その男
性は、こう言った。「性欲はふつうにあるのですが、どうしても女性を抱くことができない」と。

 彼が結婚に踏みきれなかった原因は、実は母親にあった。母親は、当時としては珍しい女性
議員で、市議会でも先頭に立って、はげしい政治活動をしていた。恐らくその男性は、そういう
母親をみて、自分の中にゆがんだ女性像をつくってしまったに違いない。その男性は、こうも言
った。「ぼくには、ロリコン趣味があります。おかしいでしょう」と。女性恐怖症の男性が、ロリコ
ンになりやすいことは、心理学的にも証明されている。

 しかしこうした現象も、「転移」という言葉で説明できる。その男性は、女性をまじかにしたと
き、その女性の中に、子どものころのきびしい母親を思い出していたのかもしれない。あるい
はもっとほかに、乳幼児のある時期に、具体的な何かがあったのかもしれない。女性への恐
怖心だけではなく、憎しみや、嫌悪感など。「女性の太い腕を見るとぞっとする一方、女性の大
きい尻で、思いっきり顔をおさけつけてもらうと、気持ちがいい」とも言った。感じ方が、かなりマ
ゾ的であった。

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【HSさんへ、はやし浩司より】?

 こうした問題は、表面的な現象に振りまわされてはいけません。また表面的な現象だけに振
りまわされていると、問題が解決しないばかりか、かえってこじれてしまいます。心理学の世界
には、精神分析という方法をとりますが、その目的は、結局は、心理状態の解剖にあります。
おかしな話ですが、人間の心理は複雑である反面、その実体がわかると、いろいろな問題が、
そのまま解決してしまいます。

 なぜあなたは、長女を嫌うか。
 なぜあなたは、姑の干渉を、嫌うか。

 この二つの問題は、一見、別々の問題に見えるかもしれませんが、その「根(ルーツ)」は、あ
なた自身の子ども時代にまで、もどります。そしてそれがわかれば、この二つの問題は、その
まま、そのあと、多少、時間はかかりますが、そのまま氷解します。

 肩の力を抜いて、あなたの嫌いな、実の両親を、もっとすなおに、憎みなさい。ひょっとした
ら、今でもあなたは、実の両親の前でいい子を演じているのかもしれませんね。それともあなた
は、実の両親の前で、心や体を休めることができますか。

 いいですか、憎んで、憎んで、憎みまくるのです。「私の子ども時代を返せ!」とです。「無理
に、食いたくもない食事をくれやがって。おかげで私は、吐いたじゃないか!」とです。

 あなたは実に、今、中途半端な立場にいます。仮面をかぶった自分と、本物の自分との間
を、行ったり来たりしている。私にはそんな感じがします。そこであなたは、今、あなたの両親を
憎みます。とことん憎みます。そうするとですね、これまた不思議な心理が働くようになります。
憎しみが、やがていつくしみに変わるのです。「何だ、親なんて、こんなものだったのか」とで
す。

 率直に告白しますが、私も、父親を、うらみました。心底うらみました。父親が死んだとき、一
滴の涙も出ませんでした。それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞掲載済み)です。
お笑いください。

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●父のうしろ姿

 私の実家は、昔からの自転車屋とはいえ、私が中学生になるころには、斜陽の一途。私の
父は、ふだんは静かな人だったが、酒を飲むと人が変わった。二、三日おきに近所の酒屋で
酒を飲み、そして暴れた。大声をあげて、ものを投げつけた。

そんなわけで私には、つらい毎日だった。プライドはズタズタにされた。友人と一緒に学校から
帰ってくるときも、家が近づくと、あれこれと口実を作っては、その友人と別れた。父はよく酒を
飲んでフラフラと通りを歩いていた。それを友人に見せることは、私にはできなかった。

 その私も五二歳。一人、二人と息子を送り出し、今は三男が、高校三年生になった。のんき
な子どもだ。受験も押し迫っているというのに、友だちを二〇人も呼んで、パーティを開くとい
う。「がんばろう会だ」という。土曜日の午後で、私と女房は、三男のために台所を片づけた。
片づけながら、ふと三男にこう聞いた。

「お前は、このうちに友だちを呼んでも、恥ずかしくないか」と。すると三男は、「どうして?」と聞
いた。理由など言っても、三男には理解できないだろう。私には私なりのわだかまりがある。私
は高校生のとき、そういうことをしたくても、できなかった。友だちの家に行っても、いつも肩身
の狭い思いをしていた。「今度、はやしの家で集まろう」と言われたら、私は何と答えればよい
のだ。父が壊した障子のさんや、ふすまの戸を、どうやって隠せばよいのだ。

 私は父をうらんだ。父は私が三〇歳になる少し前に死んだが、涙は出なかった。母ですら、
どこか生き生きとして見えた。ただ姉だけは、さめざめと泣いていた。私にはそれが奇異な感じ
がした。が、その思いは、私の年齢とともに変わってきた。四〇歳を過ぎるころになると、その
当時の父の悲しみや苦しみが、理解できるようになった。

商売べたの父。いや、父だって必死だった。近くに大型スーパーができたときも、父は「Jストア
よりも安いものもあります」と、どこかしら的はずれな広告を、店先のガラス戸に張りつけてい
た。「よそで買った自転車でも、パンクの修理をさせていただきます」という広告を張りつけたこ
ともある。しかもそのJストアに自転車を並べていたのが、父の実弟、つまり私の叔父だった。
叔父は父とは違って、商売がうまかった。父は口にこそ出さなかったが、よほどくやしかったの
だろう。戦争の後遺症もあった。父はますます酒に溺れていった。

 同じ親でありながら、父親は孤独な存在だ。前を向いて走ることだけを求められる。だからう
しろが見えない。見えないから、子どもたちの心がわからない。ある日気がついてみたら、うし
ろには誰もいない。そんなことも多い。ただ私のばあい、孤独の耐え方を知っている。父がそ
れを教えてくれた。客がいない日は、いつも父は丸い火鉢に身をかがめて、暖をとっていた。
あるいは油で汚れた作業台に向かって、黙々と何かを書いていた。そのときの父の気持ちを
思いやると、今、私が感じている孤独など、何でもない。

 私と女房は、その夜は家を離れることにした。私たちがいないほうが、三男も気が楽だろう。
いそいそと身じたくを整えていると、三男がうしろから、ふとこう言った。「パパ、ありがとう」と。
そのとき私はどこかで、死んだ父が、ニコッと笑ったような気がした。

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【HSさんへ、はやし浩司より】?

 では、具体的に、どうしたらよいかということについて、私の考えを話させていただきます。

 こうしたケースで一番、重要なカギを握るのは、あなたの夫です。幸い教職についておられる
ということですから、理解は早いと思います。まずあなたは自分の子ども時代のあなたを、あら
いざらい話してみることだと思います。恥ずかしいとか、そういうふうには考えず、そのころの
(両親の目を通して見た、いやな自分)を、話してみることです。

 こうした徹底した自己開示を、カタルシスと言いますが、カタルシスには、「カタルシス効果」が
あることは、よく知られています。心がずっと、軽くなるということです。あなたの夫にしても、夫
の両親の悪口は聞きたくないかもしれませんが、あなたの両親の悪口なら、聞いてくれると思
います。

 そしてつぎに(あなたの両親の目を通して見た、いやな部分)を、あなた自身で、一度、再確
認してみます。(あなたの中に、あなたの両親から見たあなたがいるはずです。いわばあなた
にとっては、虚像ということになります。)

 一般論ですが、こうした仮面をかぶる子どもというのは、いつも二つの視点をもっています。
一つは、自分で自分を見る視点。これを視点(A)とします。もうひとつは、他人の目を通して自
分を見る視点。これを視点(B)とします。

 たとえば小学一年生の子どもに、「お母さんが台所で料理をしています。あなたはどうします
か?」と聞いたとします。仮面をかぶった子どもは、そういうことを家ではまったくしたこともない
にもかかわらず、「手伝います」と、シャーシャーと言う。それは、その子どもは、(教師の目を
通した自分)、つまり視点(B)で、自分を見ているからです。「そういうことを言えば、先生は喜
ぶだろう」「自分は、いい子と思われるだろう」と、です。

 こういう状態がさらに進行すると、(A)の自分と、(B)の自分の分離が始まり、さらには二重
性格、さらにはそれにはげしいショックが加わると、二重人格へと進みます。(こわいですね!)
(その前に、表情と心が遊離する、遊離現象が現れることもあります。教える側からみると、
「何を考えているか、わからない」タイプの子ども、ということになります。)

 そこで話は、ぐんと現実的になりますが、「離婚」を考えられたというくらいですから、少なくと
もこの先、しばらくは、あなたと義理の両親との関係は、修復不可能だろうと思います。で、こう
いうときの鉄則は、ただ一つ。修復しようとか、仲よくしようなどとは、思わないこと。相手の義
理の両親も、あなたのことを、ひどく嫌っているはずです。これを「好意の返報性」と言います。
相手の義理の両親も、あなたとうまくやっていくことは、不可能と考えているかもしれません。

 だったら、あとは「時間」と、「距離」に任せます。わかりやすく言えば、離れて暮らし、時の流
れを待つということです。時間と距離には、そういう不思議な作用があります。

 義理の両親が、長女のめんどうをみるというのであれば、任せたらいいのです。『幸福な家族
は、みな同じだが、不幸な家族(決してHSさんが不幸と言っているのではありませんよ。誤解
のないように!)は、どれも違う』と言ったのは、あのトルストイ※です。

(※……「すべての幸福な家庭は、たがいによく似ているが、不幸な家庭は、それもが、それぞ
れの流儀で、不幸である」(トルストイ「アンナ・カレーニア」))

 つまり「家族」には、「形」はないということです。むしろ今のように、あなた自身が、長女への
憎しみと愛に揺れていると、あなた自身が、精神的に追いつめられてしまうでしょう。こうした問
題があると、かなり精神的にタフな人でも、精神を病んでしまいます。)それにこのままでは、長
女そのものにも、心のキズを残しかねないことになります。

 さらに現実的に考えるなら、義理の両親が、子どものめんどうをみてくれるというのなら、あな
たの職業にもプラスになるはずです。「教職者として失格」などと、おおげさに考える必要はあり
ません。むしろあなたのように、こうした問題を経験した教職者ほど、すばらしい先生になるの
も、事実です。あとは自分の経験を、ほかの親や子どもたちに生かせばよいのです。必ず、あ
なたはすばらしい先生になりますよ! 

 「お父様、お母様、あなたのおかげで、私は安心して、仕事ができます。ありがとうございま
す」「娘も、お父さん、お母さんのおかげでも、スクスクと育っています」くらいのウソを言いなさ
い。どうせ本気で相手にしなければならないような人たちではないのですから……。(親である
という幻想を捨て、そこらのおじさん、おばさん程度に見ればよいです。実際、そんな程度です
から……。)そしてあなたはあなたで、母ではなく、親ではなく、妻ではなく、女ではなく、一人の
人間として、やるべきことをすればよいのです。

 敷地内同居については、途中同居(子どもが生まれてからの同居)は、いろいろな調査結果
をみても、たいへんむずかしのが現状です。とくにHSさんのように、一度こじれてしまったばあ
いには、うまくいかないものと考えてください。あなた自身が、帰宅拒否になってしまうかもしれ
ませんよ。その可能性は、大です。

 それに敷地内同居を求めるというのは、義理の両親が、あなたの夫との間で、じゅうぶんに
子離れできていないか、あるいは依存心の強い人たちとみます。だからよけいにうまくいくはず
もないと思います。(あなたの夫も、ひょっとしたら、親離れできていない可能性もあります。親
を、必要以上に美化したりしませんか? もしそうなら、反対に、あなたがその世界から、はじ
き飛ばされてしまう可能性があります。義理の両親が、あなたの夫を説得して、あなたを追い
出してしまうとか……。ご注意!)

 全体としてみれば、嫁、姑問題について言えば、デメリットよりも、メリットも多いはず。そのメ
リットを前向きに利用していくことで、解決します。あなたのばあい、あなたの天職は、教職で
す。せっかくそういうすばらしい世界があるのですから、それを大切に、その世界に向って、勇
気を出して、思いっきりアクセルを踏めばよいのです。「心を解き放て! 体はあとからついてく
る!」です。

●最後に……

 親子というのは、不思議ですね。親は、自分の子どもを育てながら、自分の過去のみなら
ず、わだかまりや、しがらみを、そのまま再現する形で、繰りかえすのですね。そしてそれを繰
りかえしながら、親自身は、それを意識していない。無意識の世界の自分に操られながら、操
られているという意識すら、ないのです。今のHSさん、あなたも、その一人かもしれませんね。

 しかしね、子ども時代、何一つ不自由なく、親の豊かな愛に恵まれて育った人など、いないの
です。みな、多かれ少なかれ、いろいろな問題をかかえています。そしてその問題を引きずっ
て生きています。親子というのは、そういうものです。

 この私の返事が、あなたの「今、抱える問題」を解決するというよりは、あなた自身を、よりよ
く知るための手がかりになればと思っています。そしてその結果として、「今、抱える問題」の解
決につながればと願っています。

 最後に、あなたの長女に対してですが、親であるという気負いは捨てなさい。またその亡霊か
ら、離れなさい。あとは、あなたの長女の「友」として、いっしょに横を歩くことだけを考えなさい。
親ではなく、友です。気は合わないかもしれないが、まあ、何となくいっしょにやっていく、そんな
友です。テニスクラブで、いつも、いっしょにプレーする、友です。そういう関係でいいのです。あ
とは、時間が解決してくれます。約束します。

 では、また何かあれば、メールをください。講演会に来てくださったことを、感謝しています。
大井川以東では、いつも会場はガラガラです。また何かの機会のときは、よろしくお願いしま
す。(私はガラガラのほうが、気が楽なのですが……。これは本音です。)

 文の推敲をしないまま、返信することをお許しください。誤字脱字が随所にあるものと思われ
ます。今日は日曜日ですね。すばらしい日曜日にしましょう!

●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。

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