親子の信頼関係

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

親子の信頼関係 ・幼児教育悩み相談Q&A

はやし浩司先生●【Q15】昨今の殺伐とした事件を見ていると、自身をなくします。親子の信頼関係ですが、どの


ようにして、子どもを育てればよいのでしょうか。

【A、はやし浩司より】

 親子の信頼関係は、私にとっても、ずっと大きなテーマです。また家庭教育の「柱」ともなるべ
き、テーマです。そのため私は過去に、無数の原稿を書いてきました。それらのいくつかを、紹
介させてください。内容的に、ダブるところもありますが、どうかお許しください。これらの原稿を
読んでくださり、何らかの形で、あなた自身が、「信頼関係」を考えるきっかけになればうれしい
です。

++++++++++++++++++++

孤独な人たち

 猛烈な接近と、今度は手のひらを返したような忌避。人間関係をうまく結べない人は、この二
つを交互に、繰りかえす。

 ショーペンハウエルのヤマアラシ論。ある寒い夜、二匹のヤマアラシが、たがいに体をよりそ
って、暖をとろうとした。しかし近づきすぎると、たがいのハリで、体を痛める。しかし離れると、
寒い。そこで二匹のヤマアラシは、ほどよいところで、体を離したり、くっつけたりしながら、暖を
取りあった……。

 人間関係をうまく結べない人は、その原因の一つとして、自分のさらけ出しができない。あり
のままの自分を、ありのままに見せることができない。どこかで無理をする。いい人ぶる。仮面
をかぶる。だから人前に出ると、キズつきやすく、疲れやすい。

 さらにその原因はというと、その人の乳幼児期にある。このタイプの人は、とくに母親との関
係において、基本的信頼関係を結ぶことができなかった人と考えてよい。子どもというのは、絶
対的な安心感を得られる環境の中で、心を開くことができる。「絶対的」というのは、「疑いす
ら、抱かない」という意味。「どんなことをしても、どんなことを言っても、自分は守られるのだ」と
いう安心感をいう。

 この段階で、育児拒否、冷淡、拒否的態度、家庭不和、無視などが重なると、子どもは、心を
開くことができなくなり、ついで基本的信頼関係を結ぶというよりは、その結び方のし方そのも
のを、身につけることができなくなる。またこの時期、一度失敗すると、それが基本的不信関係
となり、その後の子どもの心の発育に大きな影響を与える。

 基本的信頼関係は、その文字が示すとおり、「基本的」なもの。この信頼関係が基本となっ
て、園や学校の先生、さらには友人との信頼関係へと発展していく。しかし基本的信頼関係が
結べない子どもは、さまざまな分野で、信頼関係を結べなくなる。具体的な症状としては、つぎ
のようなものがある。

●忠誠心が弱く、だれにでも愛想がよくなる。
●へつらう、機嫌をうかがう、小ずるくなる。
●心を開かない分だけ、心がゆがみやすい。ひねくれる、いじける、つっぱる、ひがむなど。
●孤独で、さみしがり屋。個人的な利益誘導型の人生観をもつ。
●人間関係の調整ができず、衝突、別離を繰りかえす。
●よい人ぶる、仮面をかぶる。疲れやすい。キズつきやすい。
●独断的、ひとりよがりになりやすい。偏屈、がんこになる。
●猜疑心が強く、嫉妬深い。裏切られる前に裏切るという姿勢になる。

 こうした心の問題は、そういう問題があるということではなく、そういう問題があることに気づ
かないで、同じ失敗を繰りかえすこと。しかし問題を解決するためには、まず冷静に自分の過
去をさぐり、そしてそういう問題があることに気づくこと。そのあと少し時間はかかるが、問題は
解決する。あるいは自分をコントロールすることができるようになる。

 なおこのタイプの人で、注意しなければならないことは、その人自身というよりも、その人の周
辺で、困惑している人が多いということ。冒頭に書いたように、猛烈な接近と、忌避を繰りかえ
すため、周囲の人が、それに翻弄(ほんろう)されてしまう。このタイプの人は、あるときは、ベタ
ベタと異常なまでに接近してきたかと思うと、今度はそれが拒否されたようなとき、一転、忌避
に向う。だから周囲の人は、その人がどんな人か、わからなくなってしまう。私の印象に残って
いる女性に、R子(三五歳)という女性がいた。

 R子は、ある時期は、こちらが望んでもいないのに、いろいろなものを送ってくれたり、届けて
くれた。しかしそれを断ると、今度は、一転、冷淡な態度をとる。それを周期的に、たとえば数
か月おきに繰りかえした。

 自己中心性が強く、会話をしても、自分の話題ばかり。たとえばR子は、望んでもいないの
に、電話をかけてきては、「ここのラーメンはおいしい」「あそこのラーメンはまずい」というような
話をする。さらには隣町のラーメンの話までする。で、一度、「今は、忙しいので、そういう話は
またのときにお願いできますか」と断ると、「ああ、そう!」と言って、電話をガチャンと切る。で、
以後、数か月、まったく音沙汰なし……。

 こうした姿勢が子どもに向かうと、当然のことながら、その影響は、子どもにおよぶ。このタイ
プの母親は、?ささいなことを気にして、それをことさら大げさに問題化する。?一方的な思い
込みで、子どもに無理を強いたり、強制したりする。?ものごとを極端に考える傾向が強くな
る、など。子ども自身も、基本的信頼関係を、母親との間に結べなくなることも多い。

 教える側からすると、もっとも相手にしたくない親ということになる。つかみどころがなく、機嫌
をそこねると、今度は徹底した反感をもつ。そして教える教師に対して、攻撃的になったり、あ
るいは敵意をもった行動をするようになる。つまりは、安心してつきあえなくない。その人自身
が不安になるのは、その人の勝手だが、このタイプの人は、他人をも不安にする。

 以下はMKさんという方からいただいた、質問への、私の返事です。参考にしていただけれ
ば、うれしいです。

++++++++++++++++++++++

MKさんへ

 心の緊張状態がとれないことを、情緒不安といいます。その緊張状態に、不安や心配が入り
こむと、心はそれを解消しようと、一挙に不安定になります。つまり情緒不安は、あくまでも症
状にすぎないということです。

 そしてその症状は、子どもによって異なります。攻撃型(乱暴になる、暴力的になる)、固着型
(過去にこだわる、クヨクヨする)、固執型(毛布の切れ端や、ものにこだわる)、内閉型(ぐず
る、引きこもる)に大きく分けて考えます。

 で、問題は、なぜ心の緊張感がとれないかですが、基本的には、人間関係の結び方ができ
ないとみます。自分の心をさらけだして、自己開示ができない。あるいはそれが不十分というこ
とです。原因は、乳幼児期の、母子関係が不全であったことが疑われます。

 子どもは、対母親との関係で、基本的人間関係を結びます。父親ではありません。母親で
す。そういう意味では、子どもにとっては、母親は絶対的な存在です。その母親に対して、絶対
的な安心感を覚えることで、子どもは、基本的信頼関係の結び方を覚えます。「絶対的」という
のは、「まったく疑いをいだかない」という意味です。

 この基本的信頼関係は、その後、父親や家族、園の先生、さらには友人との信頼関係の基
本となります。だから「基本」という言葉を使います。が、母親との信頼関係を結ぶことに失敗し
た子どもは、その後、母親以外の人たちとも、うまく人間関係を結ぶことができなくなります。た
とえば症状としては、仮面をかぶる。心が遊離するなど。あるいはさらにはひどいケースでは、
人格の分離が始まります。「遊離」というのは、心と表情が一致しないこと。このタイプの子ども
は、いわゆる何を考えているかわからないタイプの子どもといったふうに、なります。

 全体的にみて、MKさんのお子さんは、この流れの中にあるとみます。恐らく、子どもの側か
らみて、(MKさんには、その意識はなくても……)、生後まもなくから、乳児期にかけての時
期、どこかで母親の冷淡、無視、拒否を感じたのかもしれません。(あるいはひょっとしたら、子
どもの誕生について、大きな不安やわだかまりがあった? 望まない子どもであったとか…
…?)

そのため、お子さんは、いつも不安を基底とした心理状態になったのだと考えられます。このタ
イプの子どもは、何をしていても不安なのです。そしてその不安を解消しようと、つまりは自分
を忘れる行動に走りやすくなります。行動が、どこか享楽的になるのは、そのためです。

 以上が一般論ですが、ではMKさん自身はどうであったかという問題もあります。MKさんご
自身が言っておられるように、「あまり温かい家庭に育っていなかった」ということが、「根」にあ
ることは、十分疑ってみてよいと思います。そこでMKさんは、「よい母親になろう」「家庭という
のは、こういうものでなければならない」「よい家庭を築こう」という、気負い先行型の子育てをし
てしまった。実は、問題の根本は、ここにあります。わかりやすく言うと、子どもが緊張状態から
解放されないのは、MKさん自身が、その緊張状態にあるためです。そういう意味で、子どもの
心は、カガミのようなものにすぎないということです。

 子どもに何か問題があると、たいていの母親は、子どもだけをみて、「子どもをなおそう」と考
えます。しかし問題の根本は、母親自身にあります。まずMKさん自身が、それに気づくことで
す。

 MKさん、あなたは、子どもに、心を開いていますか。安心して、自分をさらけ出しています
か。よい親ぶっていませんか。よい子を求めすぎていませんか。よい家庭を築こうと、気負いす
ぎていませんか。過大な要求を、子どもにぶつけていませんか。そして子どもの側からみて、あ
なたやあなたの家庭は、安心感にあふれた、心豊かな家庭になっていますか。子どもにとっ
て、あなたや家庭が、体や心を休める場所になっていますか。あなたの目の前で、子どもが心
を全幅に開き、好き勝手なことをしていますか。もしそうならそれでよし。そうでないなら、あな
たや家庭のあり方を、まず反省してみてください。それをしないと、あとは、いくら、何をしても、
対症療法に終わってしまいます。

 順に考えてみましょう。

(5)とにかく、学校での緊張が強くて疲れやすいので困っています。休み時間は、元気に遊ん
でいるようですが、授業中は、先生に叱られては、いけない、上手く発言したいなどの意識が
強いようです。プライドが高くて、結果ばかり気にしているようです。また、気が小さいわりに頼
まれると、クラスで応援団の代表の一人に選ばれたりしますが、隣の子が叱られていても、びく
びくして涙ぐむタイプです。

このタイプの子どもは、いわゆる内弁慶外幽霊のタイプと考えます。外の世界で無理をする分
だけ、家の中では、粗放化します。そこで大切なことは、「ああ、うちの子は、外でがんばってい
るから、家の中ではその反動で、粗放化するのだ」と、理解してあげることです。家の中で、乱
暴な言葉を使っても、大目に見てあげてください。家の中で、こまごまと、神経質な接し方をして
はいけません。部屋の中が散らかっていても、子どもの好きなようにさせます。また子ども自身
は、学校でがんばっているようなので、その点を高く評価してあげてください。応援団の代表に
選ばれたら、「すごいわね」と、心底、喜んでみてあげてください。

(6)一人目で、四歳下の妹がいますが、小さいときから、神経質に私がなりすぎたせいか、気
が小さいです。今も、寝るときは、ぬいぐるみ(ぼろぼろの雑巾状態)を持って、指しゃぶりをし
ながらでないと眠れません。私が添い寝をすると安心するようです。

妹さんも、どこかでいつも不安を覚えていると考えてよいようです。こういうケースでは、とにか
く、スキンシップを濃厚にしてみてください。ベタベタがよいというのではありません。子どもがス
キンシップを求めてきたら、それに対して、良質なスキンシップ(ぐいと、力いっぱい抱くなど)を
与えるということです。たいていは一〇秒〜長くて一分程度で満足するはずです。コツは、親側
からベタベタするのではなく、子どもが求めてきたら、いとわないということです。


(7)学校から帰ると毎日友達と、ゲームや外遊びをしています。私が専業主婦なので、七人く
らいの友達が来ることもあります。いつもは三、四人で遊んでいます。家では、野生のサルの
ように活発ですが、「宿題は?」というと、ひどく怒ります。家では、私が何も言わないと機嫌よく
友達と遊び、寝る前に宿題のみをして、寝るような毎日です。

 「宿題」という言葉が、キーワードになっていることが、これでよくわかります。つまり緊張状態
を一挙に不安定にさせる、キーワードになっているということです。こうした反応は、習慣化して
いるはずなので、この言葉は、子どもの前では使わないようにしてください。

 「家では、私が何も言わないと機嫌よく友達と遊び」というのは、MKさんが、過干渉気味の母
親であることを示しています。全体としてみればそうでないかもしれませんが、子どもがかなり
不安定な状態のときは、ふつう程度の干渉でも、そのまま過干渉になってしまいますから、注
意してください。つまり子どもの側からみて、MKさんは、「小うるさい存在」なのです。私があな
たなら、子どもは、学校で、無理をしているので、家の中では、好き勝手なことをさせますが…
…。

(8)私が、あまり温かな家庭に育ってないせいか、子育てに張り切りすぎて子どもをゆがめて
しまったようです。私は、進学校で落ちこぼれ、店員をしていました。主人は、月の半分が出張
で、働いていますが、腎臓の難病をかかえています。

 ほとんどの人は、気負い先行型の子育てをしています。だからMKさん、あなただけが、問題
があるというのではありません。だからどうか肩の力を抜いてください。あなたはすでに十分、
すばらしい母親です。(だから、こうして私のところにメールをくださり、私も返事を書いていま
す。)あなたは今、懸命に自分をさがしておられる。そういう姿勢が、必ず、あなたやあなたの
子育てを前向きに引っ張っていきます。

 あなた自身も、言いたいことを言い、したいことをすればよいのです。「落ちこぼれた」などと
言っていないで、今、あなたがしたいことをすればよいのです。あなた自身が、こうした挫折感
を覚えているから、子どもに向かっては、「勉強は?」「宿題は?」となってしまうのです。つまり
あなたは自分の不安を子どもに、ぶつけているだけなのです。それがわかりますか?

 あなたは落ちこぼれでも何でもありません。むしろ受験勉強をして、スイスイと勝ち組になっ
たかにみえる連中のほうが、これからどんどんと落ちこぼれていくのです。だから自分のこと
を、絶対に、「落ちこぼれ」と言ってはいけません。「私は懸命に生きてきた。そのつど、懸命に
最善の道を選んできた。これが私の人生よ。ほかに何があるの!」と。そう居直りなさい。つま
りそういう形で、あなたの中に潜む、受験信仰(カルト)と戦うのです。それを克服したとき、あな
たは自分の子どもにこう言うようになるでしょう。

 「宿題? そんなもの、適当にすればいいのよ!」と。

この大らかさが、子どもに伝わったとき、あなたの子どももまた、あなたに心を開くことができる
ようになります。

 今、あなたの子どもは、あなたに対して、心を開くことができず、もがいています。苦しんでい
ます。そしてあなたはあなたで、それを孤独に感じている。つまりたがいにキズつきあっている
だけ。もう、そういう愚劣なことはやめましょう。でないと、今度は、あなたの子どもがいつか父
親になったとき、やはり心豊かな家庭作りに失敗するだけです。だから今は、あなたがここで
ふんばって、それを断ち切るのです。

 まず、自分を子どもの前でさらけ出してみてはどうでしょうか。「宿題なんて、いやなものだっ
たわ。お母さんも、大嫌いだった。いやだったわ。お母さんも、勉強ばかりする高校へ入ったけ
ど、勉強なんて、したくなかったわ」と。もしできればそのとき、一方的に「宿題をしなさい」では
なく、「いっしょに、しようね」と声をかけてみてはどうでしょうか。勉強はさせるものではなく、親
子で楽しむもの。テレビやゲームをしながらでも、三〇分かけて、五分程度勉強すれば、しめ
たもの。そういう大らかさを大切にしてください。

 ご主人のご病気、たいへんですね。まだお若いかと思いますが、どうかくれぐれもよろしくお
伝えください。ご健康を念願しています。最後に、家族は、守りあい、助けあい、教えあい、励ま
しあい、教えあう。そんな心を、これからも大切にしていきましょう。また何かあれば、ご連絡く
ださい。今日は、これで失礼します。

++++++++++++++++++++++++

さらけ出す

●すなおな心

 人間関係に悩んでいる人は多い。富山県に住んでいるMさん(四〇歳、女性)もそうだ。厳格
な祖父母と、形だけの夫婦の両親のもとで育てられた。そのためかどうかはわからないが、
(そのためと考えて、ほぼまちがいないようだが……)、Mさんは、他人との信頼関係がうまく結
べなくなってしまった。Mさんが訴えるところの症状を並べてみる。

●同窓会などに出ると、どうしてみなは、ああも楽しそうなのかと思う。それで自分も楽しもうと
思うが、どうしても楽しめない。また楽しもうと思えば思うほど、かえって疲れてしまう。

●何をしても不安で、心配。あとでほかの人が、「じょうずにできたじゃない」などと言ってくれる
と、かえって不安になってしまう。私自身は、自分では失敗したという思いから、抜けでることが
できない。

●子ども(二人の男女)に対しても、何かにつけて完ぺき主義で、ついこまかいことを言ってし
まう。子どもを信ずることができない。子どもも、集団の中で、どこかオドオドしているよう。そう
いう姿を見ると、自分を責めてしまう。

●実家へ帰っても、心が休まらない。たまに一泊することもあるが、かえって疲れてしまう。父
も母も、それなりにいい人だと思うが、どうしても心を許すことができない。親子なのに、たがい
に、あれこれ気をつかう。

●子どものときから、親に「あんたは長女だから」と、いつも言われつづけた。いい子でいるの
が、当たり前という環境だった。弟のできがよかったこともあり、いつも弟と比較された。「どうし
てあんたはできないの!」と、よく叱られた。

こういうケースでは、まず身近なことから、少しずつ、自己開示をしてみる。自分の心を偽ら
ず、正直に表現してみるということ。私にも、こんな経験がある。

 私は、子どものときから、台風が好きだった。台風が接近してくると、内心では「こっちへくれ
ばいい」と願った。あの緊迫感が何とも言えない。しかしそれは悪いことだと思っていた。私は
学校や、人前では、優等生(?)だった。だから人前では、「台風がくると被害が出るから、こな
いほうがいい」などと自分を偽っていた。

 が、ある日のこと。私が三五歳もすぎてからのことだが、一人のアメリカ人の友人が、私にこ
う言った。「ヒロシ、ぼくは台風が好きだよ。台風の日には、ベランダにイスを置いて、それに座
って台風を見ているよ」と。

 この言葉には驚いた。そこで「何が、楽しいか?」と聞くと、「風にのって、ものが飛んでいくの
を見るのは、本当に楽しい」と。

 その言葉を聞いて、私は「何だ、そうだったのか」と、へんに感心した。以来、私は、すなお
に、「台風が好きだ」と言うようになった。

 これは一例だが、こうして自分の心を少しずつ、開示していく。ただし、簡単にはできない。た
いていの人は、本来の心がどういう状態なのかわからないほどまでに、布や糸で、心がぐるぐ
る巻きになっている。がんじがらめになっている。そういう布や糸を、ひとつずつ、ていねいにほ
どいていかねばならない。

●さらけ出す 

 自分をさらけ出すのは、むずかしい。今日もワイフと、ラーメン屋でラーメンを食べながら、こ
んな話をした。

私「自分をさらけ出すというのは、簡単なことではない」
ワ「そう……?」
私「たとえば目の前に、胸のすてきな女性がいたとする。そういう女性に向って、『あなたの胸
にさわってみたい』とは言えない」
ワ「当たり前でしょう」
私「しかし、お前の胸やお尻なら、さわりたいとき、さわれる」
ワ「それも当たり前でしょう」
私「そこなんだ。夫婦だったら、たがいにさらけ出しができる。だからそれを基盤として、信頼関
係を結ぶことができる。が、他人では、できない」
ワ「それが人間関係というものじゃ、ないの?」
私「そう。そうなると、他人と信頼関係を結ぶためには、どうしたらいいのか。たとえば反対に、
夫婦のばあい、言いたいことも言えない、したいこともできないというのであれば、もうその夫婦
は、危険な状態にあるとみていい。親子でもね」と。

 そこで大切なことは、まず自分に正直に生きること。そのために、自分の心に静かに耳を傾
けてみること。その上で、がまんすべきことは、がまんする。妥協すべきことは、妥協する。

 ここにも書いたように、いくら正直といっても、「あなたの胸にさわりたい」と言えば、その時点
で、相手を侮辱(ぶじょく)したことになる。セクハラになる。そこでがまんする。同じように、時と
ばあいによっては、妥協もしなければならない。それが社会生活というもの。

 そこで、もしあなたが、人とうまく人間関係が結べないようなら、こうしたらよい。

(5)無理をしない。……そういう自分がおかしいとか、まちがっているとか、そんなふうに思って
はいけない。「私は私」と割り切る。この世界には、完ぺきな人間はいない。他人との交際が苦
痛だったら、「私は苦痛だ」と言えばよい。避けたかったら、避ければよい。大切なことは、無理
をしないこと。

(6)正直に生きる。……仮面をかぶってはいけない。いい子ぶってはいけない。いい人に見せ
ようと、がんばることもない。それを開示するかどうかは別として、自分の正直な気持ちを大切
にすればよい。

(7)居直る。……あとは、「私はこういう人間だ」と居直ればよい。私も人前で話すことが多くな
った。だからどうしても、自分をつくってしまう。飾ってしまう。が、そうすると、そのあと本当に疲
れる。今は、ありのままの自分をさらけ出すようにしている。それで人が去っていくようなら、そ
れはそれでよい。しかたのないこと。

(8)そういう自分とうまくつきあう。……どんなばあいも、自分の欠点や欠陥に気づいたら、そ
れをなおそうと思ってはいけない。思う必要もない。それに気づいたときから、それとうまくつき
あうようにする。
 
 さあ、あなたも勇気を出して、自分の気持ちを、すなおに、正直に話してみよう。一つのヒント
として、『クレヨンしんちゃん』の母親の、みさえを見習うとよい。(コミック本のほうが、よい。とく
にv1〜v7、8あたりまでが、参考になる。テレビのアニメは、つくりすぎていて、不自然?)

 みさえは、実にわかりやすい生き方をしている。すがすがしい。それで人との信頼関係が結
べるかどうかは別にして、さらけ出しは、人との信頼関係を結ぶためには、必要条件。自分を
ごまかして生きている人は、他人を信頼することもできないし、他人から信頼されることもない。
 
++++++++++++++++++++++++

自己開示

 自分のことを話すという行為は、相手と親しくなりたいという意思表示にほかならない。これを
「自己開示」という。その自己開示の程度によって、相手があなたとどの程度、親しくなりたがっ
ているかが、わかる。

(15)自分の弱点の開示(私は計算が苦手)
(16)自分の失敗の開示(私はケースを割ってしまった)
(17)自分の欠点の開示(私は怒りっぽい人間だ)
(18)自分の家族の開示(私の母は、おもしろい人だ)
(19)自分の体のことの開示(私は、足が短いことを気にしている)
(20)自分の心の問題の開示(私は、よく、うつ状態になる)
(21)自分の犯罪的事実の開示(二年前に、万引きをしたことがある)

 (1)の軽度な自己開示から、(7)の重大な自己開示まで、段階がある。相手があなたに、ど
の程度まで自己開示しているかを知れば、あなたとどの程度まで親しくなりたがっているかが
わかる。もしあなたと交際している相手が、自分の体の問題点や、病気、さらには心の問題に
ついて話したとするなら、その相手は、あなたとかなり親しくなりたいと願っていると考えてよ
い。

 子どもの心も、この自己開示を利用すると、ぐんとつかみやすくなる。コツは、よき聞き役にな
ること。「そうだね」「そうのとおり」と、前向きなリアクション(反応)を示してやる。批判したり、否
定するのは、最小限に抑える。

 反対に、子どもがどの程度まで自己開示するかで、子どもの心の中をのぞくことができる。と
きどきレッスンの途中で、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と話し始める子ども(幼児)が
いる。私はそういうとき、「そんな話はみんなの前で、してはいけないよ」とたしなめることにして
いる。それはそれとして、子どもがそういう話をしたいと思う背景には、私と親しくなりたいという
願望が隠されているとみる。が、こんな失敗をしたこともある。

あるとき、「きのうねえ、パパとママがねえ……」と言い出した子ども(年中男児)がいた。「何
だ?」と声をかけると、その子どもはこう言った。「寝るとき、裸で、レスリングしていたよ」と。

 さてあなたは、だれに対して、どのレベルまでの自己開示をしているだろうか。それを知ると、
あなたの心の中の潜在意識をさぐることができる。

++++++++++++++++++++++++

会話のない父子

Gさん(五六歳・女性)が、こう相談してきた。「夫と、父親が、まったく会話しません。そういう状
態が、結婚のときからつづいています。どうしたらいいでしょうか」と。

 Gさん父子(七三歳と四八歳)は、この三〇年間、ほとんど会話をしていない。同居していて
も、だ。毎日が一触即発。ささいな言い争いが、そのまま大げんかになることも珍しくない。

 原因は、父子の確執(かくしつ)。だれしもそう考える。しかし心理学では、そうは考えない。原
因は、息子の側の心の緊張感がとれないこと。息子自身が気がついているかどうかは別にし
て、息子は、父親を前にしたとたん、心が緊張状態になる。こういう例は多い。

 Aさん(三五歳、女性)は、盆暮れに実家へ帰るのが苦痛でならないという。親を前にすると、
ピンとした緊張感が走り、あとは何をしても疲れるだけ、と。

 Bさん(三五歳、女性)もそうだ。ときどき実母が遊びにくるのだが、帰るたびに、はげしい偏
頭痛に襲われるという。

 父子だから、信頼しあうなどというのは、もはや幻想でしかない。ざっとみても、約五〇%の
父子は、「うまくいっていない」。「うまくいっていない」というのは、「うまくいっていない」というこ
と。

 問題は、なぜ心の緊張感がとれないかということ。あるいは親を前にすると、子どもが緊張し
てしまうかということ。さらに悲劇的なことに、そういう状態を、子どもも気がつかないが、それ
以上に、親も気がつかないということ。

 この問題の「根」は深い。深いだけに、簡単にはなおらない。

 子どもは、絶対的な安心感のある家庭で、親子の信頼関係を結ぶことができる。「絶対的」と
いうのは、疑いすらもたないという意味。したいことをし、言いたいことを言うという環境である。

 推察するに、Gさん父子には、そうした信頼関係がないとみる。父親のほうはともかくも、子ど
ものほうには、それがない。不信関係というのではない。信頼関係そのものがない。もっとわか
りやすくいうと、子どもの側が、安心して父親に心を開くことができない。つまり子どもが、乳幼
児のときに、すでにそういう状態になってしまった。

 こういうケースでは、息子は、子どものころ、親の前では仮面をかぶるようになる。いわゆる
「いい子ぶる」ということ。だから父親は、ますます子どもの心を見失う。見失ったまま、「私はす
ばらしい親だ」と錯覚する。あるいは、「うちの息子は、できのいい息子」と誤解する。

 こういう心のズレがやがてキレツとなり、さらには断絶へと発展する。気がついたときには、
「会話のない父子」になる。

 では、どうするか。

 こういうケースでは、父親のほうができることは、ほとんど、何もない。母親ができることは、さ
らにない。また親たちが何かをすればするほど、逆効果。一方、子どもの側は、その緊張感を
取りのぞくのは、並大抵の努力ではできない。もしそんなことができれば、この世の中には、情
緒が不安定な人はいないということになってしまう。人間関係というのは、そういうもの。人間の
心というのは、そういうもの。

 では、どうするか。

 一度、そういう状態になったら、もうあきらめるしかない。皮肉なことに、こういうケースでは、
父親が死んだとき、はじめて、問題が解決する。よほどのことがないかぎり、それまでは無理。
つまり「私たち父子は、こういうもの」と、割り切るしかない。そしてあとは、たがいに気にせず、
それぞれが自分の道を進むしかない。

 ただ、誤解してはいけないのは、たがいの絆(きずな)は、表面的な関係はともかくも、しっか
りとあるということ。あるいはふつうの親子よりも、太いかもしれない。いざとなれば、息子は、
親子の意識にのっとり、行動する。それを信じて、自分の道を進む。

【追記】

 よく「人と接すると、疲れる」と言うひとがいる。これは対人関係において、緊張感がとれない
ためにそうなると考えると、わかりやすい。あるいは人と接すると、心が緊張状態になってしま
う。

 問題は、なぜ緊張状態になるかということ。一つには、安心できない。一つには、相手に対し
て、心を開くことができないなどがある。しかしやはり、こういうケースでも、他人と、信頼関係を
結ぶことができないのが、基本的な原因と考える。

 つぎのような人は、信頼関係の結び方が、苦手な人とみる。

●他人と接するのが苦手。近所づきあいをしても、すぐ精神的に疲れてしまう。
●他人の前に出ると、いい子(人)ぶってしまう。無理をする。自分をかざる。
●他人に心を許すことができない。いつも警戒してしまう。思ったことも言えない。
●相手の意見の合わせてしまう。追従的になることが多い。(あるいは攻撃的になることもあ
る。)

さて、あなたはだいじょうぶか?

++++++++++++++++++++++

 「あなたはすばらしい子」という親の思いが、子どもを伸ばします。心理学でも、これを「好意
の返報性」といいます。子どもというのは、自分を信じてくれる人の前では、よい面を見せようと
します。そういう子どもの性質をうまく利用すれば、子どもは、前向きに伸びていきます。

 ですから、いろいろな事件が起きても、不安になる必要はまったくありません。あなたはあな
たとして、自分の子どもを信じてください。今日があるように、明日も、必ず、あります。あさって
も、必ず、あります。そして今日の子どもがいるように、明日の子どもも、必ず、います。あさっ
ても、必ず、います。今すべきことは、今を懸命に生きること。そうすれば、結果は必ず、つい
てきます。だから、もう心配はしないこと、ですね。また何かあれば、(できればメールで)、相談
してください。力になれると思います。



●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。

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