勉強をしない子ども

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

勉強をしない子ども はやし浩司先生の子どもの問題・悩みQ&A

はやし浩司先生【K市在住の、TUさんよりの相談】





突然のメールでご迷惑をおかけします。



1年前ほど、息子の通う学校で、先生の講演を聴く機会がありました。相談に乗って頂けない
かと思い、思い切ってメールしました。



息子は今小学2年生です。その息子の勉強の勧め方と、日々の関わり方で、少し困っていま
す。



最近になり、宿題が増えてきました。内容も量も、1年生のときより増えてきました。どうも、宿
題をごまかして適当にやろうとしているようです。



そのことで、先日ひどく叱ってしまいました。叱り方が感情的になってしまい、息子もかなりショ
ックだったようで、勉強のことになると辛くなるようです。「そんな、言いかたをしないで!」と言
います。



息子も人の話を聞けない子で、授業中でも、勝手に騒いでしまうことがあるようです。そのこと
もあり、ついきつく注意することが多いです。



このままいくと、勉強についていけなくなるのではと不安です。勉強も私が見るより、塾へ行か
せたほうがいいのではと思ってしまいます。



このままでは親子関係にも亀裂が入ってしまうのではないかと不安です。あと、人の話が聞け
ない子への効果的な関わり方でアドバイスがあったら頂けないでしょうか?



+++++++++++++++++++++++



 多くの母親たちが、同じような問題をかかえ、悩んでいる。そういう意味では、典型的な悩み
の一つ(失礼!)ということになる。



 順に整理してみよう。



(1)家では、あまり勉強しない。

(2)適当にごまかすようになった。

(3)叱り方が過激になってきた。

(4)授業中の態度が、よくない。

(5)勉強についていけなくなるのではと、心配。

(6)塾へ入れるのは、どうか?

(7)親子関係がこわれるのではないかと、不安。



 

●家では、あまり勉強しない。



 子どもが受験期になると、親は、言いようのない不安にかられる。



 もともと子育てというのは、そういうもの。親は、無意識なまま、自分が受けた子育てを、その
まま繰りかえす。



 将来への不安、選別されるという恐怖。自分自身が子どものころ感じた(心)を、自分の子ど
もを通して、再現する。TUさんも、子どものころ、そういう不安や恐怖を感じた。……というより
も、そういう不安や恐怖を、TUさんの親たちから、植えつけられた。



 それが今、TUさんの心の中で、再現されつつある。そしてそれが「うちの子は、あまり勉強し
ない。どうしたいいのか」という心配になって、現れてくる。



 そこでTUさんも、「なぜ、自分が、そういう不安にかられるのか?」と、自分自身に、問いかけ
てみるとよい。



 理由はいくつかある。



 その第一は、日本全体がもつ、学歴社会。さらには、江戸時代からつづく、身分意識。さらに
は日本人独特の、集団意識。それらが混然一体となって、「コースからはずれると、こわい」と
いう恐怖感をつくりあげる。



TUさんが今、感じている不安感の原点は、そこにある。



 もっともそれに自分で気づくのは、簡単なことではない。TUさんにかぎらず、こういった意識と
いうのは、心の奥深いところに巣をつくっている。そのため、なかなか、姿を現さない。姿をつ
かめない。



 さらに、「学校での勉強は絶対」という、学校神話もある。



 しかしならば、自分にもう一度、問いかけてみることだ。



 「どうして中学1年で、一次方程式を学ぶのか。学ばねばならないのか」「どうして中学2年
で、二次方程式を学ぶのか。学ばねばならないのか」と。



 あなたはこうした素朴な質問に、答えることができるだろうか。あるいはあなたの子どもが、
あなたにそう聞いたとしたら、あなたは、何と答えるだろうか。



 アメリカでは、公立の小学校でも、学校の先生と親たちが、相談して、勝手にカリキュラムま
で決めている、そういう(自由)を見せつけられると、「では、日本の教育は何か?」となる。「私
たちは、どうしてこうまで学校の勉強にこだわらなければならないのか?」となる。



(入学する学年まで、アメリカでは、学校ごとに、自由に決めているぞ! 「うちの小学校では、
満4歳から入学させる」と、PTAが決めれば、それでもOK! アーカンソー州ほか。)



 TUさんは、その前提として、「学校での勉強はできなければならないもの」と思いこんでいる。
私は、それを「学校神話」と呼んでいる。



 TUさんは、(家で勉強しない)→(遅れてしまう)→(受験競争に負けてしまう)と、心配してい
る。TUさんの気持ちを、こう決めてかかるのは、失礼なことかもしれないが、おおかた、まちが
っていないと思う。



 そこで登場するのが、学歴社会。



 この日本では、学歴のある人は、その恩恵を、たっぷりと受けることができる。とくに、公的な
資格に保護された特権階級、官僚、公務員の世界に、それをみることができる。ここ10年で、
エリート意識が急速に崩壊しつつあるとはいえ、なくなったわけではない。残っている。



 そういった不公平を、親たちは、日常的に、いやというほど、見せつけられている。



 本来なら、そういった不公平があれば、それと戦わねばならないのだが、そこは、日本人。私
たちには、独特の、隷属意識がある。「おかしいから、なおそう」と思う前に、「あわよくば、自分
も……」「せめて自分の子どもも……」と考える。



 だから日本の社会は、少しもよくならない。いつまでも繰りかえし、繰りかえし、つづく。



 そこで、TUさんは、「あまり勉強しない」と悩んでいる。



 しかし、本当にそうだろうか? もし仮にTUさんの息子が、学校から帰ってきて、毎日、1時
間、勉強したら、TUさんは、それで満足するだろうか。今度は、TUさんは、「せめて2時間…
…」と思うようになるかもしれない。親の欲望には、際限がない。こんな例もある。



 先日も、「やっとうちの子が学校へ行くようになりました。しかし午前中で帰ってきてしまいま
す。何とか、給食までみなと、いっしょに食べさせたいのですが、どうしたらいいか」と相談して
きた、親がいた。



 私は、それについて、こう返事を書いた。



 「午前中、2時間だけで帰ってきなさい。『3時間目。4時間目はしなくても、いいのよ』と言って
あげなさい。そのとき、ついでに、『よくがんばったわね』と言ってあげなさい。



もしあなたの子どもが給食まで食べるようになったら、あなたはきっとこう言うはずです。『何と
か、午後の勉強も受けさせたい。どうしたらいいか』と。しかしそれこそ、親の身勝手というもの
です。いつまでたっても、あなたの子どもの心は休まることはないでしょう」と。



 学校という強制キャンプで、5〜6時間もしぼられてきた子どもが、その上で、さらに家での宿
題である。それがいかに重労働であるか、それがあなたにわからないはずがない。一度、そう
いう視点で、TUさん自身のこことして考えてみるとよい。つまり「私なら、それができるか?」
と。さらには、「私は、子どものころ、どうだったか?」と。



 もしそうなら、つまりTUさんが、子どものころ、勉強好きで、学校の宿題をきちんとし、親の言
いつけをハイハイと守っていたとしたら、TUさんは、今ごろは、すばらしい学歴をもち、特権的
な階級で、気楽な生活をしているはず(失礼!)。それならば、何も、問題は、ないはず。あな
たの子どもも、そうなる。



 かなり、きついことを書いたようだが、この問題はいつも、「自分ならできるか?」「自分が子
どものときは、どうだったか?」という視点で、考えてみるとよい。





●適当にごまかすようになった。



 小学校の低学年の子どもで、一日、30分前後、家で、勉強すれば、すばらしいこと。15分で
もよい。大学受験生がするような、受験勉強的な勉強を、小学2年生の子どもに期待しても、
無理。ヤボ。不可能。



 さらに子どもは、9〜10歳前後から、親離れを始める。この時期、幼児がえりを起こしたり、
反対に、おとなのまねをして見せたりしながら、子どもは、おとなになる準備を始める。子ども
あつかいをすると怒るくせに、ときどき母親のおっぱいに触れたがったりする。これを私は、
「揺りもどし現象」と、勝手に呼んでいる。



 女の子では、父親との入浴をいやがったり、裸を見られたりするのを、いやがるようになる。
男の子も、性意識に、このころ急速に芽生えようになる。



 同時に、子どもどうしの世界が、大きくふくらんでくる。それまでは、家庭を中心とした世界
が、子どもの世界だったのが、学校を中心とした第二世界。さらに、友だちを中心とした、第三
世界へと進む。(ゲームの世界もあり、私はこれを「第四世界」と呼んでいる。)



 当然、親子の関係も、その分だけ希薄になる。



 が、親が、子離れをするようになるのは、子どもが、中学生から、高校生にかけてのこと。こ
の時期、親は、「どうしたら子離れできるのか」と悩む一方で、子離れできない自分にいらだつ
ことも多い。TUさんの悩みも、そのあたりにある。



 子どもが適当にごまかしたら、親も、適当にだまされたフリをして、自分の心をごまかす。



 いいかげんであることが悪いというのではない。子どもは、(おとなもそうだが)、このいいか
げな部分で、羽をのばす。羽を休める。



 まずいのは、ギスギス。『親の神経質、百害のもと』と覚えておくとよい。過関心、過干渉も、
それに含まれる。





●叱り方が過激になってきた。



 それだけ親のほうの心が、緊張状態に、置かれているということ。



 よく誤解されるが、情緒不安定な状態を、情緒不安定というのではない。心が緊張状態にあ
る。あるいは心から緊張状態がとれないことを、情緒不安という。



 この緊張状態の中に、不安や、心配ごとが入ると、それを解消しようと、心は一挙に不安定
になる。感情が不安定になるのは、あくまでも、その結果でしかない。



 だから第一に考えるべきことは、どうすれば、その緊張状態から、自分を解放するかと言うこ
と。



 いろいろ方法はある。(1)逃避型(その問題から逃げる)、(2)受容型(あきらめる)、(3)戦
闘型(その問題と戦う)、(4)防衛型(それに対抗するための思想を高める)、など。



 それぞれの方法を、バランスよく、自分の心の中で調合しながら、心の緊張感を取りのぞく。



 逃避するのが、悪いわけではない。たまには、子育てを忘れる。忘れて、好き勝手なことをす
る。子どもというのは不思議なもので、親がカリカリしたからといって、伸びるものではない。反
対に、何もしなくても、伸びる。



 つぎに「うちの子は、こんなものだ」とあきらめる。あなたがごくふつうの女性であるように(失
礼!)、あなたの子どもも、またふつうの子ども(失礼!)。



 ふつうであることが悪いわけではない。この(ふつうの価値)は、それをなくしたとき、はじめて
わかる。賢明な親は、それをなくす前に気づく。愚かな親は、それをなくしてから気づく。



 つぎに大切なことは、自分の心や思想を、理論武装すること。視野を高め、教養を広くする。
夜のバラエティ番組を、夫といっしょにゲラゲラと笑って見ているような家庭では、困る(失
礼!)。



 当然のことながら、自分の心の奥で巣をつくっている、旧来型の学歴信仰、学校神話などと
も、戦う。しかしこのばあいは、それに対抗しうるだけの、理論武装をしなければならない。



 コマーシャルになって恐縮だが、そのためにも、どうか、どうか、はやし浩司のマガジンを購
読してほしい。





●授業中の態度が、よくない。



 いろいろなケースが疑われる。心配なケースとしては、ADHD(集中力欠如型多動性)の問
題もある。



 しかし今、(イメージが乱舞する子ども)が、ふえているのも事実。乳幼児期に、テレビを見す
ぎた子どもほど、そうなるという研究結果もある。10年ほど前から、右脳教育という言葉が、さ
かんに使われるようになったが、乳幼児への不自然な右脳教育は、できるだけ慎重であった
ほうがよい。テレビは、その右脳ばかりを刺激する。



 ほかに、環境ホルモン(内分泌かく乱化学物質)による、脳の微細障害説、食生活のアンバ
ランスによる脳間伝達物質の過剰分泌説なども、とりあげられている(シシリー宣言※)。



 といっても、小学校に入学してから、それに気づいても遅い。



 この時期に大切なことは、(今の症状をよりこじらせない)ことだけを考えて対処する。そして
その一方で、子ども自身がもつ、自己意識を、うまく育て、それを利用する。わかりやすく言う
と、自分で考えて、行動させるようにする。



 たとえばADHDにしても、小学3、4年を境にして、見た目には、急速にその症状が落ちつい
てくる。子ども自身が、自分をコントロールするようになるからである。



 もし学校での騒々しさが目立ったら、こんこんと、繰りかえし、言って聞かせるのがよい。あと
は、しばらく時間を待つ。



●勉強についていけなくなるのではと、心配。



 この不安は、だれにでもある。が、これは日本人独特の意識といってもよい。つまり、その
「根」は、深い。



 日本人は、集団からはずれるということを、極端にこわがる。恐れる。それはたとえて言うな
ら、動物社会における、(群れ意識)に似ている。「みんなと同じことをしていれば安心」というの
が、それ。



 が、この(群れ意識)には、二面性がある。



 一つは、(群れからはずれたら、不安)という意識。もうひとつは、(群れからはずれるものを、
許さない)という意識。この二つが、相互から相、重なって、日本人独特の群れ意識をつくる。



 言いかえると、自分自身の中の群れ意識と戦うためには、(自分の確立)と同時に、(他人の
確立を許す)という意識を、自分の中に育てなければならない。



 恐らく、こうした群れ意識というのは、その中に、どっぷりとつかっている人には、わからな
い。こうした群れ意識というのは、一度、自分自身が、その群れから離れてみてわかる。ある
いは、群れの中にいる人たちに、排斥されてみてわかる。



 少し話がおおげさになってきたが、日本人独特の、(遅れる意識)というのは、そういう群れ意
識の中から生まれている。



 そういう群れ意識を理解して上で、もう一度、あなた自身に問いかけてみてほしい。



 「学校に遅れる」「勉強に遅れる」というのは、どういう意味なのか、と。昔は、「後(おく)れる」
と書いた。いやな言葉だ。



 どうして日本人は、遅れることを、こうまでこわがるのか? どうして、遅れたら、それがいけ
ないのか? どうして、遅れてもよいと、居なおることができないのか?



 あわてて大学を出て、あわてて会社に入社して、その結果、あわてて人生を送って、それでよ
いのだろうか?



 今までの日本人は、国策として、そういう日本人に育てられてきた。戦前の「国のため」意識
が、「社会のため」意識にすりかえられた。「社会で役だつ人」「立派な社会人」意識になった。
その結果、いわゆる会社人間、企業人間が生まれた。私の同世代の中には、会社の発展の
ために、命をかけて仕事をしてきた人は、いくらでもいる。



 それが悪いというのではない。今の日本の繁栄は、こうした人たちの努力と犠牲(失礼!)の
上に成りたっている。



 しかし、今、同時に、それではいけないという考え方も、浮かびあがってきている。TUさんは、
恐らく、そのハザマで、もがき苦しんでいる。





●塾へ入れるのは、どうか?



 私も基本的には、その塾を経営している。塾というよりは、小さな教室である。



 で、こういう質問をもらうと、私は、どこまで自分を殺さなければならないかという問題にぶつ
かる。迷う。それにつらい。そういう意味では、TUさんの質問は、少なくとも、私には、「?」であ
る。私は何と答えたらよいのか。



 まさか「うちの教室へおいでなさい」とも書けないし、「塾へは行かないほうがいい」とも、書け
ない。



同じように、以前、電話で、こう言ってきた母親がいた。「うちの子を、K式算数教室か、あなた
の教室に入れようかと迷っていますが、どちらがいいですか」と。



 で、私はこう言ってやった。「うちは、10問出しますが、K式のほうは、9問(ク・モン)しか出し
ませんから……」と。いつか仲間のI先生が、教えてくれた言い方である。



 それに日本人は、学校だけが、勉強の場だと思っている。しかしこれほど、島国的な発想も
ない。



ドイツでも、イタリアでも、そしてカナダでも、課外授業のほうが主流になってきている。アメリカ
では、日本の塾のように、学校設立そのものが自由化されている。もちろんアメリカにも塾はあ
る。「ラーニング・センター」と、ふつう、そう呼ばれている。さらにEU諸国(ヨーロッパ)では、大
学の単位は、全土で、ほぼ、共通化された。



 どこの国のどこの大学で勉強しても、同じという状態になった。



 こういう事実を、いったい、どれだけの日本人が知っているのか? 文部科学省が発表す
る、大本営発表だけを鵜呑みにしてはいけない。官僚たちは、権限と管轄にしがみつき、自分
たちに都合の悪い情報を、決して公開しない。



 が、ひょっとしたら、TUさんは、私を、それ以上の人間とみて、こういう質問をしてきたのかも
しれない。一人の塾教師としてではなく、それを超えた人間として……?



 そうだとよいが、そういうことは、あまり期待していない。



 だから、この質問には、あえて答えない。いつか、別のところで、一つのテーマとして、考えて
みたい。





●親子関係がこわれるのではないかと、不安。



 親子関係でも、こわれるときには、こわれる。しかもそれをこわすのは、子ども。しかもその
子どもは、親の生きザマを見て、こわす。



 だから親は親で、き然として生きる。それしかない。「あんたなんかに嫌われても、かまわな
い」「あんたは、あんたで、勝手に生きなさい」と。



 親の側が、「こわれるのでは?」と心配すればするほど、立場が逆転する。親のほうが、子ど
もの機嫌をとったり、子どもにコビを売ったりするようになる。



 しかしそれこそ、本末転倒。それについては、参考になる原稿を、このあとに添付しておく。



 要するに、親は親。子どもは子ども。どこか溺愛タイプの母親ほど、子どもに嫌われるのを、
こわがる。しかし親に嫌われて困るのは、子ども。それを忘れてはいけない。



 つまりこの問題も、日本人独特の子育て観と深くからんでいる。



 日本人は、自分の子どもを、一人の人間としてではなく、いわばペットとして育てる(失
礼!)。そしてベタベタの依存関係をつくりながら、それを親子の太い絆(パイプ)と誤解する。
たがいに犠牲になることを、美徳と考える。



 しかし親子というのは、皮肉なもの。親というのは、子どもに嫌われないようにすればするほ
ど、嫌われる。嫌われても構わないという生き方をすればするほど、かえって尊敬される。子ど
もは、長い時間をかけて、親の心の裏側まで、見抜いていまう。



 それがわからなければ、反対の立場で考えてみればよい。



 あなたが尊敬できる親というのは、あなたの歓心を買い、ベタベタと機嫌をとってくる親だろう
か。それとも、「私は私」と、き然とした生き方をしている親だろうか。



 つまり親も、いつか、対等の人間として、その生きザマを、子どもに問われるときがやってく
る。必ず、やってくる。そのとき、それに耐えられるような親になっているか、どうか。そういう立
場になったときの視点で、ものを考えてみればよい。



 親子の関係など、気にしないこと。あるいは「こわれるもの」「こわれて当然」と考えること。10
年後、20年後のことはわからないが、そのとき、親子の関係がこわれていなかったら、もうけ
もの。そう考えて、居なおる。



 もう、子どもは小学2年生なのだから、あなたはあなたの人生を、前向きに生きればよい。母
ではなく、妻ではなく、女ではなく、一人の人間として……。母親は、子どもを妊娠し、出産す
る。そういう意味では、母親は、子どもに対しては、犠牲的な存在かもしれない。しかし、母親
も、一人の人間として、自分の人生まで、犠牲にしてはいけない。





●ではどうするか?



 否定的なことばかり書いていてもしかたないので、「では、どうしたらいいか」ということについ
て考えてみる。



(1)家では、あまり勉強しない。



 この時期は、まだ「勉強は楽しい」という意識を育てる。無理、強制、条件(〜〜したら、小遣
いをあげる)、比較(A君は、何点だったのと聞く)は、禁物。



 これから先、子どもは、過酷なまでの受験競争を経験する。そういうとき最後のキメテとなる
のが、忍耐力。



 まだこの時期は、その忍耐力を養うことを考える。まにあう。



 なお子どもの忍耐力は、(いやなことをする力)をいう。テレビゲームやサッカーを、一日中し
ているからといって、忍耐力のある子どもにはならない。子どもを忍耐力のある子どもにするに
は、子どもを家事の中に巻きこみながら、使う。『子どもは使えば、使うほど、いい子』と覚えて
おくとよい。



 そういう力、つまり(いやなことをする力)があってはじめて、将来、あの苦しい受験勉強を通
り抜けることができるようになる。



(2)適当にごまかすようになった。



 親は、子どもを最後の最後まで、信ずる。それが親。だまされたとわかっていても、とぼけ
る。そしてあとは許して、忘れる。



 仮にあなたの子どもが、あなたのサイフからお金を盗んで使っていたとしても、一応は叱りな
がらも、子どもを信ずる。「だれだって、それくらいのことはする」「うちの子だって、そういう経験
をしながら、おとになる」と。



 そして仮にそのお金で、あなたの誕生日プレゼントを買ってきたとしても、一応、あなたは喜
んだフリをする。



 もしお金を盗まれるのがいやだったら、管理をしっかりとすればよい。そういう方法で、対処
する。



 それともTUさん、あなた自身は、どうか? あなたは何もごまかしていないか? 交通ルール
だって、しっかりと守っているか。交差点で、黄信号になったら、しっかりと車を止めているか。
ショッピングセンターでは、いつも、駐車場に車を止めているか。



 さらに友だちとの約束は、しっかりと守っているか。人に誠実か。借りたお金を、いつもきちん
と返しているか。



 もしそうなら、それでよし。あなたの子どもの心がゆがむことは、絶対にない。が、そうでない
なら、つまりあなた自身が、どこか小ズルイ人であるなら、それはあなたの子どもの問題ではな
い。あなた自身の問題である。



 あなたはひょっとしたら、自分のいやな面を見せつけられるようで、子どもが、ズルイことをす
るのが許せないのとちがうだろうか(失礼!)。人間というのは、自分がもついやな面をだれか
に見せつけられると、カッとなりやすい。もしそうなら、やはり、これはあなた自身の問題という
ことになる。



(3)叱り方が過激になってきた。



 育児ノイローゼの初期症状も疑ってみる。心の緊張感をとるように、努力する。



 こうした緊張感は、あなた自身にとっても、また子どもにとっても、よくない。しかしこうした問
題は、何とかしようともがけばもがくほど、アリがアリ地獄に落ちるように、かえって深みにはま
ってしまう。



 では、どうするか。



 あなたも、一人の人間として、自分の進むべき道を模索する。そうでなくても、これから先、子
どもの問題は、つぎからつぎへと起きてくる。だから子育てとは別に、つまり子育てを離れた世
界で、自分の生きザマを確立する。



 そのときコツがある。できるだけ、自分の中の「利他」の割合を大きくする。そしてその一方
で、「利己」の割合を、小さくする。「利己」が大きければ大きいほど、かえって袋小路に入って
しまう。つまり何かの方法で、他人のために働くようにする。具体的には、ボランティア活動が
ある。



 ボランティア活動をすすんでする人たちの、あの内からわきでるような神々しさ、あなたも感じ
てみるとよい。それがその人の、人間的な大きさということになる。



 また、子どもの耳は、長い。(英語で『子どもの耳は長い』というときは、別の意味で使うが…
…。)叱っても、その音が脳に届くまでには、時間がかかる。言うべきことは言いながらも、あと
は、子どもの判断に任せる。



(4)授業中の態度が、よくない。



 子ども自身は、「よくない」とか、「悪い」とか、思っていない。もう少し年齢が大きくなるのを待
つ。もう少しすると、先に書いた自己意識が育ってくるので、それをうまく利用する。



 あとは、学校の先生には、低姿勢でのぞむこと。「うちの子が、みなさんに迷惑をかけしてい
るようで、すみません」と。



(5)勉強についていけなくなるのではと、心配。



 現実問題として、中学一年生で、掛け算の九九が、満足にできない子どもは、全体の1〜2
0%はいるとみる。



 国立の大学に通う大学院生(文科系)でも、小学校で習う、分数の足し算、引き算ができない
学生は、30〜40%(※2)もいる。



 悲しいかな、これが日本の教育の現実である。いいかえると、今は、そういう時代だというこ
と。オールマイティな頭でっかちの子どもより、一芸に秀でた子どものほうが、生きやすいという
こと、。またこれから先、そういう時代になるということ。



 定年退職したあとも、大卒の学歴をぶらさげて生きている人は多い。しかしこれからは、もう
そういう時代ではない。



 たまたまTUさんの子どもは、小学2年生ということだから、この年齢あたりが、その分かれ道
ということになる。



 アカデミックな学習態度を身につけて、いわゆる日本の学歴社会に順応していくか、あるいは
それに背を向けて、サブカルチャの道を進むか。



 もし勉強に遅れが目立ってきたら(こういう言い方は、本当に不愉快だが……)、「勉強をさせ
る」のではなく、あなた自身が、自分で勉強するつもりで、子どもをその雰囲気の中に巻きこん
でいく。そういう姿勢が、子どもを勉強好きにする。



(6)塾へ入れるのは、どうか?



 一度、子ども自身の心を確認してみること。すべては、ここから始まる。



(7)親子関係がこわれるのではないかと、不安



 そういう不安があるなら、もうすでにこわれ始めている。人間関係というのは、そういうもの。



 よく若い男が、女に、「お前を信じているからな」と言うことがある。しかしそう言うということ
は、すでに相手を疑っているということになる。



 本当に相手を信じていたら、そういう言葉は出てこない。同じように、「親子関係が、こわれる
かもしれない?」と不安になっているようなら、すでにこわれ始めているとみる。



 「母親の役目はここまで。あとは父親の役目」と、割り切ることはできないのか。いつまでも母
性世界だけで、子どもを育ててはいけない。とくに、相手は、男児。それともあなたは、自分の
子どもを、マザコンタイプの冬彦さんにしたいのか?



 今、若い男性でも、そして結婚してからの夫でも、このタイプの男が多い。多すぎる。



 結婚してからも、何か自分のことでニュースがあったりすると、妻に話す前に、実家の母親に
電話したりする。当の本人は、そうすることが、親孝行の息子と誤解している。そしてお決まり
の、美化論。親を美化することによって、自分のマザコンぶりを、正当化しようとする。



 「私の母は、立派な人だ。だから私が、こうして尽くすのは、当たり前。子どもの義務」と。



 なぜこれほどまでに、この日本で、マザコンタイプの男がふえてしまったか? その原因の一
つに、TUさんが今、感じているような不安がある。そしてその不安の根源は、日本の文化その
ものに深く根ざしている。



【TUさんへ】



 かなりきびしいことを書きました。自分でも、わかっています。



 しかしこの問題は、TUさんだけの問題ではありません。広く、ほとんどの母親たちが、共通し
て悩んでいる問題です。



 私の返事は、本文の中に書いておきました。しかしこれだけは忘れないでください。



 今、あなたの子どもは、あなたに考えるテーマを投げかけているのです。子育ての問題。教
育の問題。日本の社会や文化の問題など。



そこで大切なことは、こうしたテーマについて、あなた自身が考え、自らの結論を出すということ
です。



 本文の中で、「あなた自身はどうだったか」と書きましたが、それはまさしく(あなた)自身を知
るきっかけとなるはずです。



 そういう視点、つまりあなたが子どもを育てるのではない。あなたの子どもが、あなたという人
を育てるために、そこにいる。そういう視点で、子どもをみます。



 あなたが「私は親だ」と思っている間は、決してあなたの子どもは、あなたに対して心を開くこ
とはないでしょう。あなたに何も教えないでしょう。しかしあなたがほんの少しだけ、子どもと対
等の立場にたち、謙虚になれば、あなたの子どもは、あなたに心を開くことになります。



 メールを読むかぎり、あなたは、どこか権威主義的な、親意識の強い方だと思います。もしそ
うならなおさら、つまらない親意識など捨てて、子どもに、こう話してみてはどうでしょうか。



 「ママも、子どものころ、勉強なんて、大嫌いだった。おもしろくないもんね」「学校の宿題なん
てね、適当にやればいいのよ。あなたは学校でがんばって、疲れているんだから、家の中で
は、休めばいいのよ。ごくろうさま」と。



 あなたの子どもは、目を白黒させて驚くかもしれません。しかしそのあと、あなたの子どもは、
心を開いて、いろいろ言うでしょう。



 いいですか、親子の絆(きずな)というのは、そういうものです。心を開きあわないで、どうして
絆を太くすることができるでしょうか。



 この絆の問題については、また追々、私のマガジンのほうで書いていきます。まだマガジンを
購読なさってくださっておられないようなので、ぜひ、ご購読ください。いつまで、このエネルギー
がつづくかわかりませんので、早い者勝ちです。今なら、無料。お得です。ホント!



 では、今日は、これで失礼します。メールの引用、転載など、ご了解いただければうれしく思
います。



 なおこの原稿は、マガジンの6月30日号のほうで、掲載するつもりです。そのときまでにまた
推敲に推敲を重ねておきますので、またそちらのほうを、お読みいただければうれしく思いま
す。ご都合の悪い部分などあれば、至急、お知らせください。よろしくお願いします。

(はやし浩司 子どもの勉強 子どもの勉強 子どもの学習 子どもの学習 勉強をしない子ども 
勉強をしない子ども 家庭での勉強)



●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。


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