子どもの虚言癖(2)

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

子どもの虚言癖(2)  はやし浩司先生の子どもの問題・悩みQ&A

はやし浩司先生●兵庫県にお住まいの、HGさんより、


子どもの虚言癖についての相談があった。
子どもの虚言癖についての相談は多い。
以前のもらった相談と重ねて、この
問題を考えてみたい。

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はじめまして。小学校2年生の男子(長男)についての相談です。 
子どもの嘘について相談します。 

息子のばあい、空想の世界を言っているような嘘ではなく、
「自分の非を絶対に認めない」嘘です。 

先日担任の先生からお電話があり、こんなことがあったそうです。 

(1)何かの試合の後、「○○君のせいで負けたんだ」と発言。直接その子に言ったようではな
かったが、言われた子は泣き出してしまった。 担任が注意しようとすると、「僕、言っていない」
の一点張り。しかし、先生も周囲にいた複数のクラスメートが、言ったことを聞いている。 

(2)工作の材料にバルサの板のようなものを4枚、持ってきた子がいた。気がつくと3枚しかな
く、探していたところ、いつのまにかうちの子が1枚持っており、「自分が持ってきたものだ」と言
い張る。 

そこで本当に家から持ってきたものなのかどうか、先生から問い合わせという形で、電話があ
りました。

 しかし、当日家から持っていた形跡はなく、問いつめると 

子:「家の近所で拾った」 
私:「どこで拾ったか、連れて行って」 
子:「わかんない。通学路で拾った」 
私:「通学路のどのあたり?」 
子:「○○の坂を上がって、右に曲がったところ」 
私:「○○君は教室まで4枚、あったって」 
子:「・・・」 

という感じで、つじつまを合わせようと必死。最後に私が「○○君が持っていたのが欲しくなっち
ゃったんだ?」と聞くと、小さくコクリ。最後まで「自分が取ってしまった」とは言いませんでした。 

また、休日においても、先日お友達と野球場に行った際、お友達(4生)と弟(5歳)との3人で、
高いところから通路へ石投げに興じてしまいました。そこへ野球場を管理するおじさんから「そ
んなことしちゃいかん!」と一喝。

私は現場を見ていなかったので、「何やったの!?」と聞くと、またしても「僕、何にもやってい
ない」の一点張り。(お友達は「自分もやったが、○○(うちの子)も一緒にやった」と言いまし
た)。しばらくして父親が登場(草野球の試合をしていました)、「おまえもやったんだろ?」と威
厳ある態度で聞くと小さくコクリ、でした。  
石投げについては、私の聞き方がまずかったかな? (嘘を言うことが可能な質問)とも思いま
すが、平然と周知の事実について頑なに嘘を突き通すことについて、子どもの心の中がどうなっ
ているのかわからなくなりそうです。

小学校1年の頃までは嘘を言うと、なんとなく顔や態度に出るのであまり気にはしていませんで
したが、最近はそれがなくなり「絶対正しい!」という自信さえ漂わせています。 

生きていくうえでは嘘は必要なものでもありますが、それより以前に自分に打ちかって、正直に
言うことや誠実であることの大切さをわかってもらうには、今後、どう対応していったら良いので
しょうか? 

どうぞよろしくお願いします。 
(兵庫県A市在住、HGより)

++++++++++++++++++

【HGさんへ】

 以前、書いた原稿を、まずここに掲載しておきます。

++++++++++++++++++

子どものウソ

Q 何かにつけてウソをよく言います。それもシャーシャーと言って、平然としています。(小二
男)

A 子どものウソは、つぎの三つに分けて考える。(1)空想的虚言(妄想)、(2)行為障害によ
る虚言、それに(3)虚言。

空想的虚言というのは、脳の中に虚構の世界をつくりあげ、それをあたかも現実であるかのよ
うに錯覚してつく、ウソのことをいう。行為障害による虚言は、神経症による症状のひとつとして
考える。習慣的な万引きや、不要なものを集めるなどの、随伴症状をともなうことが多い。

これらのウソは、自己正当化のためにつくウソ(いわゆる虚言)とは区別して考える。

ふつうウソというのは、自己防衛(言いわけ、言い逃れ)、あるいは自己顕示(誇示、吹聴、自
慢、見栄)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚がある。

母「だれ、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさい」、子
「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから…」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「ゆうべ幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのが、それ。  

その思い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言
という。こんなことがあった。

 ある日一人の母親から、電話がかかってきた。ものすごい剣幕である。「先生は、うちの子の
手をつねって、アザをつくったというじゃありませんか。どうしてそういうことをするのですか!」
と。私にはまったく身に覚えがなかった。そこで「知りません」と言うと、「相手が子どもだと思っ
て、いいかげんなことを言ってもらっては困ります!」と。

 結局、その子は、だれかにつけられたアザを、私のせいのにしたらしい。

イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせては
ならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世界
にハマるようであれば、注意せよという意味である。

このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなく、現実の世界に空想をもちこんだり、反
対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世界をつくりあ
げると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式のウソを、シャ
ーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、特徴である。

どんなウソであるにせよ、子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」だけを
繰り返しながら、最後は、「もうウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、
はげしく叱れば叱るほど、子どもはますますウソの世界に入っていく。

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 ここまでは、いわば一般論。雑誌の性格上、この程度までしか書けない。つぎにもう少し、踏
みこんで考えてみる。

 子どものウソで、重要なポイントは、子ども自身に、ウソという自覚があるかどうかということ。
さらにそのウソが、人格的な障害をともなうものかどうかということ。たとえばもっとも心配なウ
ソに、人格の分離がある。

 子どものばあい、何らかの強烈な恐怖体験が原因となって、人格が分離することがある。た
とえばある女の子(二歳)は、それまでになくはげしく母親に叱られたのが原因で、一人二役(と
きには、三人役)の独り言を言うようになったしまった。それを見た母親が、「気味が悪い」とい
って、相談してきた。

 このタイプの子どものウソは、まったくつかみどころがないのが特徴。ウソというより、まったく
別人になって、別の人格をもったウソをつく。私の知っている女の子(小三、オーストラリア人)
がいる。「私は、イタリアの女王」と言うのだ。そこで私が「イタリアには、女王はいない」と説明
すると、ものごしまで女王ぽくなり、「私はやがて宮殿に迎えいれられる」というようなことを繰り
かえした。

 つぎに心の中に、別の部屋をつくり、その中に閉じこもってしまうようなウソもある。これを心
理学では、「隔離」という。記憶そのものまで、架空の記憶をつくってしまう。そしてそのウソを繰
りかえすうちに、何が本当で、何がウソなのか、本人さえもわからなくなってしまう。親に虐待さ
れながらも、「この体のキズは、ころんでけがをしてできたものだ」と言っていた、子ども(小学
男児)がいた。

 つぎに空想的虚言があるが、こうしたウソの特徴は、本人にその自覚がないということ。その
ためウソを指摘しても、あまり意味がない。あるいはそれを指摘すると、極度の混乱状態にな
ることが多い。

私が経験したケースに、中学一年生の女の子がいた。あることでその子どものウソを追及して
いたら、突然、その女の子は、金切り声をあげて、「そんなことを言ったら、死んでやる!」と叫
び始めた。

 で、こうした子どもの虚言癖に気づいたら、どうするか、である。

 ある母親は、メールでこう言ってきた。「こういう虚言癖は、できるだけ早くなおしたい。だから
子どもを、きびしく指導する」と。その子どもは、小学一年生の男の子だった。

 しかしこうした虚言癖は、小学一年生では、もう手のほどこしようがない。なおすとか、なおさ
ないというレベルの話ではない。反対になおそうと思えば思うほど、その子どもは、ますます虚
構の世界に入りこんでしまう。症状としては、さらに複雑になる。

 小学一年生といえば、すでに自意識が芽生え、少年期へ突入している。あなたの記憶がそ
のころから始まっていることからわかるように、子ども自身も、そのころ人格の「核」をつくり始
める。その核をいじるのは、たいへん危険なことでもある。へたをすれば、自我そのものをつ
ぶしてしまうことにも、なりかねない。

そのためこの時期できることは、せいぜい、今の状態をより悪くしない程度。あるいは、ウソを
つく環境を、できるだけ子どもから遠ざけることでしかない。仮に子どもがウソをついても、相手
にしないとか、あるいは無視する。やがて子ども自身が、自分で自分をコントロールするように
なる。年齢的には、小学三,四年生とみる。その時期を待つ。

 ところで私も、もともとウソつきである。風土的なもの、環境的なものもあるが、私はやはり母
の影響ではないかと思う。それはともかくも、私はある時期、そういう自分がつくづくいやになっ
たことがある。ウソをつくということは、自分を偽ることである。自分を偽るということは、時間を
ムダにすることである。だからあるときから、ウソをつかないと心に決めた。

 で、ウソはぐんと少なくなったが、しかし私の体質が変わったわけではない。今でも、私は自
分の体のどこかにその体質を感ずる。かろうじて私が私なのは、そういう体質を押さえこむ気
力が、まだ残っているからにほかならない。もしその気力が弱くなれば……。ゾーッ!

 そんなわけで小学一年生ともなれば、そういう体質を変えることはできない。相談してきた母
親には悪いが、虚言癖というのはそういうもの。その子ども自身がおとなになり、ウソで相手を
キズつけたり、キズつけられたりしながら、ウソがもつ原罪感に自分で気がつくしかない。また
親としては、そういうときのために、子どもの心の中に、そういう方向性をつくることでしかない。
それがどんなウソであるにせよ……。
(030605)

【補足】
 以前、こんな原稿(中日新聞掲載済み)を書いた。内容が重複するが、参考までに……。

+++++++++++++++++

子どもがウソをつくとき

●ウソにもいろいろ

 ウソをウソとして自覚しながら言うウソ「虚言」と、あたかも空想の世界にいるかのようにして
つくウソ「空想的虚言」は、区別して考える。

 虚言というのは、自己防衛(言い逃れ、言いわけ、自己正当化など)、あるいは自己顕示(誇
示、吹聴、自慢、見栄など)のためにつくウソをいう。子ども自身にウソをついているという自覚
がある。母「誰、ここにあったお菓子を食べたのは?」、子「ぼくじゃないよ」、母「手を見せなさ
い」、子「何もついてないよ。ちゃんと手を洗ったから……」と。

 同じようなウソだが、思い込みの強い子どもは、思い込んだことを本気で信じてウソをつく。
「昨日、通りを歩いたら、幽霊を見た」とか、「屋上にUFOが着陸した」というのがそれ。その思
い込みがさらに激しく、現実と空想の区別がつかなくなってしまった状態を、空想的虚言とい
う。こんなことがあった。

●空想の世界に生きる子ども

 ある日突然、一人の母親から電話がかかってきた。そしてこう言った。「うちの子(年長男児)
が手に大きなアザをつくってきました。子どもに話を聞くと、あなたにつねられたと言うではあり
ませんか。どうしてそういうことをするのですか。あなたは体罰反対ではなかったのですか!」
と。ものすごい剣幕だった。

が、私には思い当たることがない。そこで「知りません」と言うと、その母親は、「どうしてそうい
うウソを言うのですか。相手が子どもだと思って、いいかげんなことを言ってもらっては困りま
す!」と。

 その翌日その子どもと会ったので、それとなく話を聞くと、「(幼稚園からの)帰りのバスの中
で、A君につねられた」と。そのあと聞きもしないのに、ことこまかに話をつなげた。が、そのあ
とA君に聞くと、A君も「知らない……」と。結局その子どもは、何らかの理由で母親の注意をそ
らすために、自分でわざとアザをつくったらしい……、ということになった。こんなこともあった。

●「お前は自分の生徒を疑うのか!」

 ある日、一人の女の子(小四)が、私のところへきてこう言った。「集金のお金を、バスの中で
落とした」と。そこでカバンの中をもう一度調べさせると、集金の袋と一緒に入っていたはずの
明細書だけはカバンの中に残っていた。明細書だけ残して、お金だけを落とすということは、常
識では考えられなかった。そこでその落としたときの様子をたずねると、その女の子は無表情
のまま、やはりことこまかに話をつなげた。

「バスが急にとまったとき体が前に倒れて、それでそのときカバンがほとんど逆さまになり、お
金を落とした」と。しかし落としたときの様子を覚えているというのもおかしい。落としたなら落と
したで、そのとき拾えばよかった……?

 で、この話はそれで終わったが、その数日後、その女の子の妹(小二)からこんな話を聞い
た。何でもその女の子が、親に隠れて高価な人形を買ったというのだ。値段を聞くと、落とした
という金額とほぼ一致していた。が、この事件だけではなかった。そのほかにもおかしなことが
たびたび続いた。「宿題ができなかった」と言ったときも、「忘れ物をした」と言ったときも、その
つど、どこかつじつまが合わなかった。

そこで私は意を決して、その女の子の家に行き、父親にその女の子の問題を伝えることにし
た。が、私の話を半分も聞かないうちに父親は激怒して、こう叫んだ。「君は、自分の生徒を疑
うのか!」と。そのときはじめてその女の子が、奥の部屋に隠れて立っているのがわかった。
「まずい」と思ったが、目と目があったその瞬間、その女の子はニヤリと笑った。

ほかに私の印象に残っているケースでは、「私はイタリアの女王!」と言い張って、一歩も引き
さがらなかった、オーストラリア人の女の子(六歳)がいた。「イタリアには女王はいないよ」とい
くら話しても、その女の子は「私は女王!」と言いつづけていた。

●空中の楼閣に住まわすな

 イギリスの格言に、『子どもが空中の楼閣を想像するのはかまわないが、そこに住まわせて
はならない』というのがある。子どもがあれこれ空想するのは自由だが、しかしその空想の世
界にハマるようであれば、注意せよという意味である。

このタイプの子どもは、現実と空想の間に垣根がなくなってしまい、現実の世界に空想をもちこ
んだり、反対に、空想の世界に限りないリアリティをもちこんだりする。そして一度、虚構の世
界をつくりあげると、それがあたかも現実であるかのように、まさに「ああ言えばこう言う」式の
ウソを、シャーシャーとつく。ウソをウソと自覚しないのが、その特徴である。

●ウソは、静かに問いつめる

 子どものウソは、静かに問いつめてつぶす。「なぜ」「どうして」を繰り返しながら、最後は、「も
うウソは言わないこと」ですます。必要以上に子どもを責めたり、はげしく叱れば叱るほど、子
どもはますますウソがうまくなる。

 問題は空想的虚言だが、このタイプの子どもは、親の前や外の世界では、むしろ「できのい
い子」という印象を与えることが多い。ただ子どもらしいハツラツとした表情が消え、教える側か
ら見ると、心のどこかに膜がかかっているようになる。いわゆる「何を考えているかわからない
子ども」といった感じになる。

 こうした空想的虚言を子どもの中に感じたら、子どもの心を開放させることを第一に考える。
原因の第一は、強圧的な家庭環境にあると考えて、親子関係のあり方そのものを反省する。
とくにこのタイプの子どものばあい、強く叱れば叱るほど、虚構の世界に子どもをやってしまう
ことになるから注意する。

++++++++++++++++++++

【FGさんからの相談より】

 ある日学校の保健室の先生から呼び出し。小学二年生になった息子を迎えにいくと、私に抱
きついて泣きじゃくる。

 理由を聞こうとすると、保健室の先生が、「昨夜から何も食べていないとのこと。昨夜もおな
かが痛く、嘔吐もしたとのこと……」と。

 しかし息子は、元気だった。昨夜の夕食もしっかりと食べたし、嘔吐もなかった。

 こうしたウソは、息子が三歳くらいのときから始まった。このままでは、仲間からウソつきと呼
ばれるようになるのではないかと、心配。どうしたらいいでしょうか。(神奈川県K市在住、FGよ
り)

++++++++++++++++++++

 ほかにもいくつかの事例が書いてあったが、問いただせば、ウソと本人が自覚する程度のウ
ソということらしい。それまでは、虚構の世界に、自らハマってしまうよう。

 このタイプの子どもは、自分にとって都合の悪いことが起こると、それを自ら、脳の中に別の
世界をつくり、自分をその中に押しこんでしまう。そしてある程度、何回もそれを反復するうち、
現実と虚構の世界の区別がつかなくなってしまう。

いわば偽の記憶(フォールスメモリー)をつくることによって、現実から逃避、もしくは現実的な
問題を回避しようとする。これを心理学の世界では、防衛機制という。つまり現実の世界で、心
が不安定になるのを避けるために、その不安定さを避けるために、自分の心を防衛するという
わけである。

 原因は……、理由は……、引き金は……、ということを、今さら問題にしても意味はない。幼
児期の子どもには、こうしたウソをつく子どもは珍しくない。ざっとみても、年長児のうち、一〇
〜二〇人に一人には、この傾向がある。やや病的かなと思われるレベルまで進む子どもでも、
私の経験では、三〇〜四〇人に一人。日常的に空想の世界にハマってしまうようであれば、問
題だが、そんなわけで、ときどき……ということであれば、つぎのように対処する。

(3)その場では、言うべきことを言いながらも、決して、追いつめない。子どもを窮地に立たせ
れば立たせるほど、立ちなおりができなくなる。完ぺき主義の親ほど、注意する。

(4)小学三、四年生を境に、自己意識が急速に発達し、子ども自身が自分で自分をコントロー
ルするようになるので、その時期を目標に、つまりそういう自己意識で自らコントロールできる
ような布石だけはしておく。ウソをつけば、友だちに嫌われるとわかれば、またそういう経験を
実際にするうちに、自分で自分をコントロールするようになる。

 子ども(幼児、小学校の低学年児)のばあい、ウソを強く叱ると、「ウソをついたこと」を反省す
る前に、恐怖を覚えてしまい、つぎのとき、さらにウソの世界が拡大してしまうことになる。ウソ
は相手にしない。ウソは無視するという方法が、好ましい。しかし子どもが病的なウソをつくよう
になると、ほとんどの親はあわててしまい、「将来はどうなる?」「このままではうちの子は…
…?」と、深刻にに騒ぐ。

 しかし心配無用。人間は、どこまでも社会的な動物である。その社会でもまれることにより、
また、自己意識が発達することにより、自ら自分を修復する能力をもっている。大切なことは、
この自己修復能力を、大切にすること。この相談のFGさんのケースでも、ここ数年のうちに、
子どものウソは、急速に収まっていく。要は、今、あわてて症状をこじらせないこと。
(はやし浩司 虚言 ウソ 嘘 空想的虚言 虚言癖 子どもの嘘 子どものウソ)

++++++++++++++++++

【HGさんへ(2)】

 いただきましたメールによれば、やや病的な虚言癖があると思われます。(叱る)→(ますま
すウソがうまくなる)→(ますます強く叱る)の悪循環の中で、ウソがウソと自覚できる範囲を超
えて、虚構の世界にまで、子どもを追いこんでしまっているような感じがします。

 どこか育児姿勢が、過干渉ぎみ、もしくは過関心ぎみになっていないかを、反省してみてくだ
さい。今の状態では、はげしく説教したり、道理をわからせようと無理をしても、それをすれば
するほど、逆効果です。

 こういうときは、つまりウソとわかった段階で、無視するのが一番です。子どもに白状させるま
で、子どもを追いこんでも意味がありません。また追いこんではいけません。(あるいはあなた
自身が、お子さんに、根強い不信感をもっているのかもしれません。あるいはあなた自身が、
子どもに心を開いていない可能性もあります。不安先行型、心配先行型の子育てをしていませ
んか。頭から、ウソと決めてかかっている、など。)

 あなたはおとななのですから、そして親なのですから、一歩、退いて子どもを包むようにして
みる必要があります。子どもに対して、対等意識が強すぎると思います。相手は、子どもです。
未熟で未完成で、その上、未経験です。

 (それとも、あなた自身は、ウソをつかない、聖人のような人でしょうか?)

 子どもは、よくウソをつきます。そういうとき大切なことは、それを叱ることではなく、相手にし
ないことです。もちろん重要なことで、ウソを言うなら、それについては叱らねばなりません。
が、ほとんどのばあい、その段階では、すでに、症状はかなりこじれているとみます。

 大切なことは、子どもの虚言癖をなおそうとしないこと。簡単には、なおりません。大切なこと
は、今の状態をより悪くしないことだけを考えて、数か月単位で、様子をみることです。

 まずいのは、無理になおそうとすることです。ウソをつくことを責めるのではなく、なぜウソを
つくのか。ウソをつかねばならないのか。またそこまでなぜ、あなたが子どもを追いつめるの
か。それを謙虚に反省すべきです。

 きびしいことを書きましたが、この問題は、一見、子どもの問題のように見えますが、実は、
あなたという親の問題です。もっとはっきり言えば、あなたの育児姿勢そのものに問題があり、
そしてそれが結果として、今の状態をつくりだしているということです。

 ですから、つぎのことを守ってください。

(1)一応、冷静に、子どもの話を聞き、おかしいと思うことは言う。しかし証拠をつきつけて叱っ
たり、追いつめてはいけません。
(2)言うべきことは言いながらも、あるところで、さっと引きさがります。こうした虚言癖のある子
どものばあい、とことん追いつめるのは、タブーです。
(3)あとは暖かい無視を大切に。子どものウソは、相手にしないこと。叱っても、恐らく今の段
階では、(叱られじょうず)になっているので、意味はありません。
(4)あとは半年単位で様子をみますが、子どもの心を開放させることも忘れないように。母子
の間の信頼関係が、かなり不安定な状態にあるとみます。
(5)もう少し年齢が大きくなると、自己意識が育ってきます。その自己意識を、大切に伸ばしま
す。自分で考え、自分で行動する力を養います。

 以上ですが、あくまでもここに書いたことは参考意見です。学校の先生とも緊密に連絡をと
り、ていねいに対処してください。

 今が最悪の状態ではなく、この状態をさらにこじらせると、もっとやっかいな状態になります。
そのためにも、今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処します。どうかくれぐれ
も、ご注意ください。
(040607)

【追伸】

 話せば長くなりますが、あなた(母親)と、子どもの間の関係についても、冷静に反省してみて
ください。

 あなたはあなたの子どもを、生まれたときから、全幅に信頼していたかという問題です。もし
そうなら、それでよし。そうでなければ、あなた自身が、もっと子どもを信頼して、心を開かなけ
ればなりません。

 ある母親は、自分の子どもが母親のサイフから、お金を盗んで使っていたことについて、一
応は叱りながらも、内心では、「だれでも一度はするものよ」と、笑ってすませたといいます。

 そういう(笑ってすます)ような度量は、結局は、親子の信頼関係から生まれます。あなたも、
そういう度量がもてるように、努力してみてください。

 あんたのウソなんか、私には通用しませんよ。ハハハ、バカめ!、と。


●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。


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