義父との確執

 

適切な幼児教育は後の
人間形成において大変重
要であると考えています
が注意していただきたい
ことがあります。
幼児教育は完璧な育児や
教育を推奨するものでは
ないということです。


 ・愛情が第一を忘れない
 ・他の子どもと比較をしない
 ・完璧主義にならない
 ・結果を期待しすぎない
 ・ゆったりとした心を持つ
 子どもへの過剰な期待は
 親子共に大きなストレス
 になる可能性があります。
 ゆったりと構え、少しくら
 い上手くいかなくても
 「まぁ、いっか。」
 位に考えられることが幼
 児教育を続けられるポイ
 ントになります。 

義父との確執  はやし浩司先生の家族・家庭の問題・悩みQ&A

はやし浩司先生●埼玉県U市にお住まいの、SHさん(女性・主婦)の方から、義父母との問題について、メール


をいただきました。それについて、考えてみたいと思います。ただ、そのあと、SHさんからのメ
ールの掲載について、承諾が得られませんでしたので、こちらでメールの内容を、要約させて
いただきます。

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【SHより、はやし浩司へ】

 私の夫と、両親(私にとっては、義父母)とは、断絶しています。きっかけは、夫が、職を変え
たことについて、その職を認めてくれなかったこと。「そんな職は、中卒の仕事だ」と、軽蔑した
ことです。その精神性の低さには、驚くばかりです。

 また義母が、何かにつけて、私たち夫婦に干渉してきたこともあります。「こうあるべき」という
親子像をつくり、それを私たちに押しつけてきました。

 それで夫が、ある日、とうとう、義父母に、絶縁を申し出ました。

 夫には、姉(私の義姉になります)がいますが、義父母と義姉は、ともに子離れできない、親
離れできない関係にあります。ベタベタの関係です。そのため義姉は、私から見ると、まさにド
ラ娘という感じがします。

 その義姉も、あれこれ、私たちに干渉してきます。間に一人、叔母がいるのですが、その叔
母も、あれこれ干渉してきます。

 義父母は、モノや権力に執着する人です。私が生まれ育った家庭とは、あまりにもちがうた
め、とまどっています。その上、義父は、かんしゃく発作のある人で、自分の気に入らないこと
があると、大声を出したり、暴れたりします。

 このまま断絶していていいとは思いませんが、こういうときは、どうしたらいいのか、どうかアド
バイスをお願いします。
(埼玉県U市、SHより)

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【SHさんへ】

 こうしたケースでは、親を説得して……とか、親に理解してもらおう……と考えても、意味はあ
りません。ムダです。親自身が、何らかの方法(たとえば、私のマガジンを読むとか……)で、
自分で気がつくしかありません。

 私の身内のケースも含めて、親が変わったという事例は、ありません。その親自身の人生観
がからんでいるため、ことはやっかいです。ヘタに責めると、親自身が、役割混乱を起こしてし
まいます。自己否定から、自己嫌悪に陥ることもあります。つまりは、混乱状態になるというこ
とです。狂乱状態になることも、珍しくありません。

 今、思い出した事例に、こんな話があります。

 その家では、父親と息子の、喧嘩(けんか)が絶えませんでした。そこで息子が、近くの占い
師にみてもらったところ、「あなたの家には、神様と、仏様がいる。どちらか一方にしなさい」と。

 そのあたりでは、どこの家でも、神様と仏様の両方を祭っています。で、その息子は、その占
い師の言葉を真に受けて、家に帰って、「神様を処分する」と言い出したのです。

 さあ、たいへん! ふつうでも一触即発の状態なのに、息子が、神様を処分すると言いだし
たのです。この事件は、父親と息子の間で、「殺す」「殺してやる」の大騒動になってしまいまし
た。妻が止めに入ったときには、父親が、ナタを息子に振りおろす寸前だったといいます。

 あなたの義父母についていうなら、義父は、かなりの権威主義者ですね。昔ながらの男尊女
卑思想のもち主かもしれません。学歴信仰、出世主義的なものの考え方も、見え隠れします。
見栄、メンツ、世間体だけで生きている人かもしれません。この世界には、「そんな仕事」も、
「こんな仕事」もありません。「中卒の仕事」も、「大卒の仕事」もありません。

 こういうケースでは、問題がこじれると、とことんこじれます。親子であるだけに、問題は、か
えって深刻になります。(他人なら、たがいに蹴飛ばして、別れることもできますが、親子だと、
それもできません。)

 で、行くつく先は、断絶か、さもなければ、妥協して生きるかのどちらかになります。しかしそ
れとて、簡単なことではありません。そこに親類、縁者がからんでくるからです。あなたのばあ
いは、義姉や叔母など。

 こういうとき、外国の人は、おもしろい割り切り方をします。たとえば『二人の人に、いい顔は
できない』という格言があります。たとえ親でも、よい顔ばかりはしておられないという意味で
す。夫の立場で、「妻を選ぶか(結果として、親と断絶するか)、親を選ぶか(結果として、妻と
離婚するか)」となれば、まちがいなく、夫は、妻を選びます。

 断絶するにしても、そのあたりまで割り切らないと、問題は、解決しません。つまり「親戚(義
姉、叔母ほか)に、どう思われようが、知ったことではないという、割り切りです。親とは断絶し
ながら、しかし義姉や叔母とは、うまくつきあうというのは、さらに難しいことです。

 改めて「断絶」という言葉は使わないで、ここは自然の成り行きにまかせるのが、最善かと思
います。この種の問題は、ここにも書いたように、こじれると、とことん、こじれます。そのため、
それに巻きこまれた当事者たちは、とことん、神経をすり減らします。

 もちろん義父には、いくつかの問題があります。戦後の高度成長期にサラリーマンをしてきた
人は、独特の、社会観をもっています。仕事第一主義もそうです。金権主義もそうです。それか
ら「モノ」への執着心も、ほかの世代にくらべて、強いです。

 つまりは、義父の世代は、私の世代ということになりますが、この世代は、戦前というか、江
戸時代の身分制度という亡霊も、引きずっています。仕事によって、人間を判断するというか、
人間の価値を、その仕事で決めるようなところがあります。いわゆる「いい仕事」と、「悪い仕
事」を区別します。

 「いい仕事」というのは、いわゆる学歴によって裏打ちされたような仕事をいいます。「悪い仕
事」というのは、そうでない仕事をいいます。おかしいですね。本当に、おかしいですね。

 しかしこうしたおかしさを、この世代にぶつけても、意味はありません。この世代の人たちは、
そういう価値観の中で生きてきました。ですからここで、「あなたがたの価値観はおかしい」など
と言うと、この世代の人たちは、役割混乱を起こしてしまうのです。

 私は、あなたの義父と同じ世代の人間ですが、しかし若いころ、幸いにも、世界中を渡り歩い
ていました。オーストラリアにしばらく留学していたこともあります。そういう経験をとおして、そ
の「おかしさ」に、若いころ、気づくことができました。

 このことは、私の『世にも不思議な留学記』の中に書いておきました。また機会があれば、H
Pのほうから、のぞいてみてください。(近く、HTML版のマガジンのほうで、写真入りで、みなさ
んに、お届けするつもりでいます。)

 いわば私たちは、化石のような世代です。しかし同時に、あわれむべき世代でもあります。

 私たちの世代は、一方で親に仕(つか)え、一方で、子どもに仕える世代です。わかりやすく
言うと、私のばあいも、二三、四歳のころから、収入の約半分は、実家の母に届けていました。
しかし親となった今、今度は、息子たちに対しては、お金は、いまだに出ていく一方です。こうい
うのを、『両取られ』というのですね。

 あなたの義父のぼやきも、そんなところにあります。

 親の権威も失墜しました。「親だから……」という、威光も通じなくなりました。昔の子どもな
ら、「お父様」「お母様」と、ひざまづいたものですが、今は、そういう時代でもありません。

SHさんの義父母は、「親は絶対」と教えられて育ってきた世代です。で、今度は、自分が親の
立場になり、「親の私は絶対」と考えるわけです。そしてそれに応じない子どもは、「できそこな
い」となるわけです。

考えてみれば、おかしな間隔ですが、しかし感覚というか、意識は、そんなに簡単には変えら
れません。今、SHさんが感じておられる世代ギャップというのは、そのあたりから生まれてきて
います。

 この問題は、成りゆきに任せるしかありません。努力して、どうにかなる問題でもありません。
少し前までなら、SHさん夫婦のような方は、「親不孝者」(多分、あなたの義父は、そう思って
いるはずです)と、ののしられたものですが、今は、そういう時代でもありません。

 親子関係も、基本的には、一対一の人間関係です。人間と人間の関係です。こわれるとき
は、こわれます。またこわれたからといって、だれの責任とか、また失敗とかいうことでは、あり
ません。

 問題はこわれることによって、その当事者が、苦しむことです。たいていは、お節介焼きの叔
父や叔母がいて、それに介入してきます。「親子はこうあるべきだ」という通俗的な常識を押し
つけてきます。

しかしね、SHさん、世の中には、親をだます子どもはいくらでもいますが、子どもをだます親だ
って、いくらでもいるのです。子どもを虐待している親だって、います。そういう親をもった子ども
に対して、「親孝行をしろ」「親を絶対と思え」と言っても、酷というものです。

 どこかきびしいことを書きましたが、親であるということは、それくらいきびしいことなのです。
今まで、日本人は、いわゆる甘えの構造(ベタベタの依存関係)の中で、その「きびしさ」を、見
落としてきたのではないでしょうか。

 あなたの義父は、「産んでやった」「育ててやった」「大学まで出してやった」と考えているかも
しれません。しかしこれほど、身勝手な考え方もありません。勝手に産んでおいて、「産んでや
った」とは! 産んだ以上、育てるのが義務ではありませんか。それを「育ててやった」とは!

 しかし、です。今さら、こんなことを義父母に言っても、意味はありません。あなたはあなた
で、義父母たちは、そういう世代だと知った上で、納得すればよいのです。本来なら、そういう
「おかしさ」を気づかせてあげたいのですが、それは前にも書いたように、それを知れば、あな
たの義父母は、かえって大混乱するだけです。だから、ここは、そっとしておいてあげましょう。

 ただ全体として、SHさんの生きザマが、内向きなのは、少し気になります。「内向き」というの
は、本来、相手にしてはいけない、あるいは相手にもならない人たちを、相手にしすぎていると
いうことです。

 私の近所にも、そういう老人がいます。私のほうは、まったく相手にしていないのですが、何
かにつけて、私を相手にしてくる老人です。本人は、大まじめなのですね。私のほうが無視す
ればするほど、ムキになってくるという感じです。(この話は、SHさんとは、逆の話ということに
なりますか?)

 要するに、義父母など相手にしないこと。あなた自身が、「精神性が低い」という言葉を使って
おられます。そう、精神性は、低いのです。「親だから、それなりの精神性をもっているはず」と
いう幻想をもちやすいですが、人間も、四〇歳をすぎると、精神性の向上は、停止します。そし
てそれ以後は、かえって低下します。(人にもよりますが……。)

 ウソだと思うなら、新幹線に乗ってごらんなさい。周囲の迷惑も考えずに、ギャーギャーと大
声で騒いでいるのは、そのレベルのオバチャン連中(失礼!)たちです。ただひたすら、ペチャ
クチャと、意味のないことをしゃべっているオバチャン連中(失礼!)もいます。しかもその話の
内容の、低俗なことと言ったら、ありません。むしろ、幼児たちのほうが、聞き分けがよいくらい
です。ホント!

 今、義父母が気になるというのは、ひょっとしたら、あなたも、その義父母と同じレベルにいる
ことが疑われます。だから気になる……。だから対立する……。だから断絶する……。

 そこでどうでしょう。たとえば私のHPの「随筆集」でも、片っ端から読んでみて、(コマーシャル
ですみません……)、そういう人たちを乗り越えてみては……。もし私の随筆集を読んでくださ
れば、そのあと、義父母が、小さく、とるに足りない人たちだとわかってくるはずです。

 そしてあなたはあなたで、前向きに、外に向かって、何かにぶつかっていけばよいのです。あ
なたにも、したいことがあるでしょう。できることがあるでしょう。それを追求するのです。そして
結果として、精神性の低い義父母など、相手にしなくなることです。

 私も、この幼児教育の世界に入るとき、母には泣かれました。母は、半狂乱になりました。そ
のことは、別のところでまた書きますが、たとえば私が子ども時代には、「役者(今のタレント)」
たちは、最下層の人間に思われていました。「マンガ家」というだけで、バカにされたものです。
「幼稚園の講師」というのは、さらに下でした。

 そういう価値観がいかにおかしいかは、すでにSHさんが、お気づきのとおりです。

 以上のことから、私はつぎのようにアドバイスします。

(1)義父母との関係の修復は、自然体に任せなさい。まだお元気のようですから、今しばらく、
放っておいてあげればよいでしょう。あまり深く考えないで。また肩に力を入れないで。あなた
のほうは、会いたければ会いに行けばよいし、会いたくなければ、会わなくてもよいのです。

(2)今、あなたの価値観と義父母の価値観は、はげしく対立しています。で、あなたの価値観
はともかくも、相手(つまりは敵)の価値観を、まず知ることです。どんな価値観を、またどうし
て、そういう価値観をもつようになったか、をです。意外と単純な価値観ですよ。あるいは、「価
値観」と呼べるような価値観ではないかもしれません。

私なども、よく、旧世代の人たちに、叩かれます。本当に、よく叩かれます。「君は、日本人の
美徳である、孝行論を否定するのか?」「先祖を否定する教育者は失格だ!」「君には、日本
人としてのアイデンティティはないのかね?」「欧米かぶれしすぎている」とか。ごく最近も、「君
のような頭でっかちの人間が、教育論を説いてもらっては困る」と言ってきた人もいます。

(3)義父母のような世代は、相手にしないことです。本気に相手にしても、意味はありません。
私も、いろいろな原稿を書いていますが、またいろいろな人と議論しますが、相手が、その程
度の「精神性」しかもっていないとわかったときには、相手にしないようにしています。「適当に
……」という言い方は、誤解を生みやすいですが、適当に、つきあっておけばよいのです。

たとえばその人が、「親を粗末にするものは、地獄へ落ちる」などと言ったら、「そうですよ。そう
ですとも」と言ってあげればよいのです。それが、相手を乗り越えるという意味です。一度、た
めしてみてください。相手を、人格者だと思わないこと。未熟な幼児だと思えばよいのです。

わかりやすく言えば、頭のネジがサビついたような人は、相手にしないこと。一見、ズルい言い
方に聞こえるかもしれませんが、その人はその人なりに、懸命に生きてきたのです。ですから
精神性はともかくも、その「懸命さ」を感じたら、一歩退いてあげる。そういう意味で、「相手にし
ない」です。

 こうした問題をかかえて悩んでいるのは、あなただけではありません。今、本当に多いです。
こうした問題のない家庭のほうが、少ないのではないかと思います。そういう意味では、今、日
本は、大きな過渡期にきています。今、SHさんが経験しておられる混乱は、まさにその過渡期
の混乱ということになります。

 私たちが、今、すべきことは、そういう過渡期にあって、この流れを、決して逆行させてはなら
ないということです。もっとも、その過渡期も、ほぼ終盤を迎えたというか、終わりつつあります
が……。

 最後に、一言。

子どもが親のために犠牲になるのは、美徳でも何でもないのです。それともあなたは、あなた
の子どもがあなたのために犠牲になるのを、よしとしますか。それでよいですか。

 一方、同時に、親が子どものために犠牲になるのも、もう美徳でも何でもないのです、それと
もあなたは、あなたの親が、あなたに、「私の人生は、おまえのために尽くした。お前こそが、
私の生きがいだった」と言ったとき、それを喜びますか。それでよいですか。

 そういう視点で、これからの親子関係を、いっしょに考えていきましょう。ここに書いたことが、
何かの参考になれば、うれしいです。


●子どもの問題・・・子どもに関する問題 ●親子の問題・・・親子に関する問題
●家庭の問題・・・夫婦家族に関する問題 ●その他・・・その他の問題


情報・画像の出展:はやし浩司先生

※このページの文章・及び画像の著作権は「はやし浩司」様が保有しています。
当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。


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