「行き着くところまで行く2」 はやし浩司先生の育児・教育指導
子どもの心に何か問題が起きたとする。
するとたいていの親は、それをなおそうとする。
「まだ何とかなる」「そんなはずはない」と考える。が、原因が自分にあると考える親は、まずいない。
しかも心の問題は外からは見えないため、これまたほんとどの親は、「気のせいだ」「心は気のもちようだ」と軽く考える。
しかしこうした誤解が、やがて悪循環を招き、少しずつだが時間をかけて、にっちもさっちもいかなくなる。
S君(年長児)の症状は、軽いチックではじまった。
そこで母親はそれを何度となくうるさく注意した。が、チックはやがて階段をのぼるようにトントンと悪化した。症状も大きくなり、複数のチックを同時に併発するようになった。
母親はますます子どもを叱った。しかしこれがまずかった。
S君は真夜中に、はげしいけいれん状のチックを繰り返すようになった。一度は救急車まで呼んだ。
しかし親は、自分に原因があるとは決して思わなかった。
R君の母親は、見るからに神経質そうな母親だった。話し方もせっかちで、人の話をまったく聞こうとしなかった。
やがてS君と母親はお決まりの病院めぐり。
あちこちで検査を受けては落胆したり、一抹の希望をもったりした。
S君が幼稚園へ行きたくないと言い出すと、それはますますエスカレートした。が、病院めぐりをすればするほど、S君の症状は悪化した。
母親はあとになってこう言った。
「あのまま不登校児になったらどうしようと、そればかりが心配でした」と。が、結局S君はそのまま不登校児になった。
1年生のときも、2年生のときも、ほとんど学校へは行かなかった。
私にも相談があったので、「3か月は何も言ってはいけません。S君の好きなようにさせなさい」と言ったが、母親にしてみれば、一か月だって長い。
そのつど学校へS君をひっぱっていった。
さらに病院めぐりをするようになると、もう私のアドバイスなど聞かなかった。
こうなると、私としては指導の方法はない。
さらに病院で処方される「わけのわからない薬」を飲むようになると、S君の症状は一時的には快方に向かったが、しかしそれはあくまでも一時的。そのあと薬の反作用で、症状はますますわけのわからないものになっていった。
……というような話はいくらでもある。
親というのは、結局は行き着くところまで自分で行くしかない。
冷たい言い方だが、これは子育てにまつわる宿命のようなもの。その途中で私のようなものがいくらアドバイスしても、意味がない。指導する側にしてみれば、そういうむなしさがいつもついて回る。これもやはり宿命のようなもの。
はやし浩司先生の育児・幼児教育コーナー8
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。