「人格形成と勉強は別」 はやし浩司先生の育児・教育指導
「人格形成と勉強は別」というタイトルにしたが、このタイトルの中の「勉強」を、「学力」もしくは「知識」にしようかで、私はかなり迷った。で、その結果、「勉強」にした。わかりやすく言えば、勉強ができるから人格的にすぐれた人間になるとか、もっと言えば、学歴があるから人格的にすぐれた人間になるとか、そういうことはありえない。ありえないことは子どもを教えてみればすぐわかる。
人格形成と勉強は、まったく別のものである。
人格形成は日々の鍛錬の中からなされる。日々の鍛錬というのは、日々の思考と行動と、それに困苦の3つをいう。こう決めてかかるのは危険なことかもしれないが、少なくとも人格というのは、教育だけでできるものではないし、知識があるから人格者ということにはならない。
たとえば家事の手伝いをよくしている子どもと、そうでない子どもとは、見ただけで判別できるほど、違いがよくわかる。家事をよく手伝っている子どもは、どっしりとした人間的な深みがあって、おとなの私ですらも包んでくれるような包容力がある。が、家事をほとんどしない、いわゆるドラ息子、ドラ娘にはそれがない。こうしたことと、掛け算の九九をペラペラと言うとか言わないとか、あるいは漢字をたくさん書けるとか書けないとかいうこととは、まったく関係ない。
が、この日本では、勉強ができる人、つまり学歴が高い人ほど、人格もまた高邁(こうまい)であるということになっている。子どもの世界もそうで、勉強ができる子どもほど、人格的にもすぐれた子どもということになっている。あるいは日本の社会全体、それを受ける教育全体が、そういう錯覚の上に成りたっている。しかし錯覚は錯覚。
これは一つの例だが、有名進学高校ほど、その内部での生徒どうしのいじめが多い。しかもそのいじめは陰湿かつ執拗。具体的な数字があるわけではないが、こんなことは教師の間では常識である。
もちろん学問することはムダではない。ないが、問題はその学問のし方である。もっと言えば、学問しながら、そこで自分の「思考」をいかにはぐくむか、だ。どこかの寺の本山で学ぶ小僧のように、ただ覚えて、覚えて、覚えるだけの学問には、意味がない。学問が学問として意味をもつのは、考えて、考えて、考え抜くところにある。が、考えるだけでは足りない。そうした思考に、行動や困苦がともなってはじめて、思考は意味をもつ。つまりその人の人格の基礎となる。
どこかバラバラなことを書いたが、要するに子どもにはよく考えさせ、よく行動させ、家事の手伝いをよくさせる。これが子どもの人格を育てる基本ということになる。
はやし浩司先生の育児・幼児教育コーナー6
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【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。