ゴーギャン はやし浩司先生の教育アドバイス
タヒチと聞くと、南海の楽園を連想する。これは多分に、ゴーギャンの描いた絵の影響と思われる。
ゴーギャンは、あの有名な『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』という絵を残している。
右に赤子、左に老女を配しながら、全体に6〜7人の裸の女性を描いた絵である。
私にはどこか甘い感じの漂う、ロマンチックな絵に見えた。
そんなこともあって、私は若いころから、「いつかはタヒチに」と思ってきた。
そんなゴーギャンについて何気なく調べていたら、生まれたのが1848年と知った。
「ああ、私が生まれた、ちょうど100年前だ」
と思ったとたん、スーッとゴーギャンの世界に入ってしまった。
ゴーギャンは、1848年生まれ、1903年没。
私は、1947年生まれ、20??年没。
今年は2008年だから、今のところ、私のほうが、やや長生きをしていることになる。
ゴーギャンは、55歳で、この世を去った。
死因は、心臓発作と言われているが、その前にヒ素を大量に飲んで、自殺未遂をしている。
先の絵を描いた直後のことである。
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そこでさらに調べてみると、ゴーギャンは、2度、タヒチに渡っていることがわかる。
1893年と、1895年の2回である。
1回目は、アルルでのゴッホとの共同生活が失敗に終わったあと。
2回目は、フランスでの苦しい生活に見切りをつけたあと。
とくに2回目は、「完全に世俗的な成功の望みを捨てて」(「世界の名画」PHP)
とある。
私はこういう数字を見ると、すぐ自分の年齢に当てはめてものを考えてしまう。
1893年といえば、ゴーギャンが、45歳のとき。
1895年といえば、ゴーギャンが、47歳のとき。
「私は、45歳のとき、何をしていたか」とか、「47歳のときはどうか」とか。
そういうふうにである。
そして「47歳で、完全に世俗的な成功の望みを捨てたのは、すごいことだ」と思ってしまう。
(フランス人というのは、早熟なのかな?)
が、ゴーギャンにとって、タヒチというのは、けっして理想の「楽園」ではなかったようだ。
むしろタヒチに、失望している(?)。
「タヒチの現実への幻滅と、追い求めた理想が描かれている」(同書)とある。
「だったら、どうして2度もタヒチへ渡ったのかな」とも思うが、それはそれ。
どんな生活にも、よい面もあれば、悪い面もある。
ゴーギャンはゴーギャンなりに、幻滅しながらも、そこでの(現実)を楽しんでいたのかもしれない。
つまりこれも自分の生活に当てはめて考えてみると、わかる。
たとえば「幻滅」とはいうが、日常生活は、幻滅の連続。
「希望」といっても、冬の日に、ときたま差し込む淡い光のようなもの。
あとはそれに必死になって、しがみつくだけ。
それに……。
当時のタヒチで、ゴーギャンの絵を理解できるような人はいなかったと思う。
ゴーギャンの絵に、お金を払う人もいなかった。
事実、ゴーギャンは、タヒチでは絵の具も満足に買えないような貧乏生活を送っている。
(フランスでも、そうだったが……。)
芸術家にとって、自分を理解できない人の間で住むことは、苦痛以外の何ものでもなかったはず。
いくら「世俗的な成功」とは縁を切ったとはいえ、その先、無私、無我の境地に達するのは、別問題。
私も世俗的な成功と縁を切ることができたのは、55歳前後のこと。
世俗に媚(こび)を売るのをやめたのも、そのころ。
しかし今でも、お金は嫌いではない。
できれば成功したいと願っている。
心のどこかには、「まだまだ……」という思いもある。
だから、ゴーギャンのように自殺までは、考えたことはない。
(ゴーギャンは、妻のもとに残してきた娘のアリーヌの訃報が、自殺未遂の理由だったとされる。)
しかしこんなことは言える。
私も幼児教育をするようになって、40年近くになる。
その間、実は、孤独との闘いでもあった。
相手は、幼児。
あるいは若い母親。
いくらがんばっても、心のコミュニケーションは、不可能。
今でもときどき、「よくもまあ、こういう幼児や親を相手に、仕事をしてきたものだ」と、自分で自分に感心するときがある。
とくにお金を求めて仕事をしてきたわけではないが、率直に、いちばんお金にシビアなのが、この世代の母親たち。
ときどき「バカヤロー」と叫びたくなるようなときもあった。
さてゴーギャンの先の絵をもう一度、よく見てみる。
右端の赤子が(生命の始まり)を象徴し、左端の老女が(死)を象徴している。
そのことは解説書(同書)にも、そのように書いてある。
しかしこの程度の解説を紹介するだけなら、だれにだってできる。
そこで私の解説。
(1)全体に絵が、丸いアーチを描いているのがわかる。
(2)右のほうに、3人の若い娘が描かれている。
(3)暗い色を背景に、母親と娘らしき女性が2人、描かれている。
(4)中央部に、若い女性が天に向かって、果実を手にしようとしている。
(5)左に寄ったところに、青白い神が描かれている。
(6)老女の横に、なまめかしい1人の女性が描かれている。
(7)老女はその左側に描かれている。
これらの絵を右から順に見ていくと、いろいろと気づく点がある。
構図がアーチになっているのは、人生の興隆と衰退を象徴している。
3人の若い娘は、ゴーギャンが若いころ知りあった女性かもしれない。
どこかものほしげな顔が印象的である。
母親と娘らしき女性は、ゴーギャンの妻と、娘のアリーヌかもしれない。
この絵では、中央の女性が、もっとも目立つが、この女性は、世俗的な成功をまさに手にしようとしているかのようにも見える。
あるいはその象徴?
が、それもすぐさま、夢の中に消える。
そこでゴーギャンは宗教にその救いを求める。
それがその左の、青白い神の絵ということになる。
が、つづいてなまめかしい女性の絵。
これはひょっとしたら、ゴーギャンがタヒチで知りあった女性かもしれない。
どこか意味ありげな顔つきをしている。
で、最後は老女。
部分的に、意味がよくわからないところもある。
それらもゴーギャンの一生に深く関係しているのかもしれない。
ただひとつ、どうでもよいことだが、もっとも右端に犬、もっとも左端にアヒルが描かれている。
この犬とアヒルは、何を象徴しているのか。
黒い犬のような闇から生まれて、人は最後は、死んで白いアヒルのようになるのか。
まあ、いろいろ考えられるが、ゴーギャンは、この一枚の絵の中に、自分の人生のすべてを託したという。
こうして考えてみると、偉大な画家というのは、抽象的な観念をどんどんと凝縮し、それを凝縮しきったところで、具体的なモノや人を使ってそれを表現していることがわかる。
文章と対比させてみると、それがわかる。
自分の一生を文章で表現するときは、すべてを書かねばならない。
抽象的な観念を凝縮するということはできない。
そんな文章を書いても、だれも理解できないだろう。
一方、絵画は、見る人の心の中で、いかようにも解釈できる。
その(いかようにも)という部分の中で、描いた人の心をふくらますことができる。
またそれができる人を、私たちは画家、つまり芸術家と呼んでいる。
しかし文章ではそれができないのか?
ためしに、私の一生を、文章で表現してみる。
(これはあくまでも遊びとして……。)
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生
暗闇
振り子
父の酒乱
不安と焦燥
わんぱく少年
自己逃避と挑戦
ひたむきな猛進性
同一性の希求と絶望
社会へのしがみつき
現実への迎合と諦め
家族自我群と幻惑
宗教性との葛藤
自己の統合性
俗との決別
自己埋没
物書き
無私
死
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こういうことが、1枚の絵でできるところが、すごい。
しかも翻訳なしで、世界中の人に訴えることができるところが、すごい。
ゴーギャンの絵を見ながら、そんなことを考えた。
情報・画像の出展:はやし浩司先生
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当サイトでは「はやし浩司」様のご厚意により許可を得て掲載させていただいております。
【はやし浩司先生のプロフィール】
1947年岐阜県生まれ。
金沢大学法文学部法学科卒業。
日豪経済員会給費留学生として、オーストラリアメルボン大学ロースクール(法学院)研究生、三井物産社員、幼稚園教師を経て、浜松市にてBW(ブレイン・ワーク)教室、幼児研究所を設立。
独自の哲学・教育論をもとに幼児教育の実践を行っています。
現在は教育評論家として、ホームページやブログ、メルマガ、ユーチューブ等を利用しながら執筆活動に専念しています。
●著書に「子育て最前線のあなたへ」(中日新聞社)、「おかしな時代のまともな子育て論」(リヨン社・2002年3月発行)、「ドラえもん野比家の子育て論」(創芸社)など、30冊余り。
うち4冊は中国語にも翻訳出版されています。
「まなぶくん幼児教室」(学研)、「ハローワールド」(創刊企画・学研)などの無数の市販教材も手がけ、東洋医学、宗教論の著書も計8冊出版されています。
●教育評論家、現在浜松市伝馬町でBW教室主催。
●現在は、インターネットを中心に活動中。
メルマガ・オブ・ザ・イヤー受賞(08)、
電子マガジン読者数・計3000人(09)、ほか。
「BW公開教室」を、HP上にて、公開中。
(HPへは、「はやし浩司」で検索、「最前線の子育て論byはやし浩司」より。)
過去の代表的な著書
・・・などなど30冊余り出版されています。